「Dear My Friend」という残酷

「久保みねヒャダこじらせNIGHT」がレギュラーになって1か月。不安要素はあったものの、「月イチ収録(衣装替え無し)」「20分番組(実質15分)」というスタイルで鮮度を保ちつつ、今のところ面白い。


モテキ」で有名になった漫画家久保ミツロウと、音楽プロデューサーとして活動するヒャダインこと前山田健一。この二人で深夜に始まった主に久保の「こじらせた」言動に対しヒャダインが優しく突っ込むというスタイルが、ありそうでなかった斬新さ。特番を3度放送し、久保のラジオのパートナーである「元男」能町みね子を加えた形で始まったのが「久保みねヒャダこじらせNIGHT」である。


基本は久保ミツロウ主導のもと色々な物事に対して独自の「こじらせた」目線で喋るというスタイル。その中でも特に出色なのが「青春こじらせソング」のコーナー。同世代である3人の青春時代を彩った名曲の歌詞をこじらせ目線で分析することにより、その曲の新たな一面を垣間見るというもの。


今回の放送で紹介されたのがEvery Little Thingの「Dear My Friend」。爽快なBGMに乗せて「いつか最高の自分に生まれ変われる日が来るよ」というフレーズがエステのCMで流れていたことで(自分、というか同世代には)お馴染みの曲である。


この曲が発売されたのが自分がまだ中学生のとき。当時飛ぶ鳥をバズーカで落としまくっていたエイベックスからデビューしたのがELT。当時はサウンドプロデューサーも兼ねていた五十嵐充がメンバーとして名前を連ねていた時代。まだ持田香織の声も健在だった頃である。女ボーカルに男性2人。いわゆる「ドリカム編成」(ていうのが今の人に通じるのか、という話を前に書いたことをまた思い出した)のエイベックスデビュー組の走りだ。この後は倖田來未の妹ことmisonoが姉より早く有名人になったユニット「day after tomorrow」、そして先日ボーカル千紗が北島康介と結婚し解散となった「girl next door」と英語3単語という形式を踏襲したユニットたちに比べれば、今のELTのポジションは実に「堅調」なのかもしれない。それはどうでもいい。


当時この曲はそこそこ売れたのだ。自分もラジオから流れるこの曲をよく聴いたもんである。ただまあ特別ファンだったわけでもないので、歌詞を聞いたら「ああこんな歌詞だったよな」と思い出すことはあれど、この曲の歌詞を噛み締めるように聞いたことなんてなかったわけで、今回番組で取り上げられて改めて歌詞を聞いてみると、男からしてみればなんて残酷な歌詞なんだろうと戦慄を覚えずにはいられなかった。


大雑把に要約すると、「付き合ってはみたけどなんか違う。やっぱお前ただの男友達だから。」という女の(男側からしたら「なぜか」)悪意のない心情を歌った曲。番組内でも触れられていたが、体験談なのかもしれないがこんな残酷な歌詞を男性である五十嵐充が作詞していることに驚く。


タイトルが「Dear My Friend」なだけに、友情を歌った曲かと思ったら大間違いだ。曲調も爽やかだから騙される。いや、この曲調のあっけらかんさ加減が「悪意のない女の残酷さ」をより強調しているのかもしれない。タイトルの真意はおそらく「『恋人』じゃなくてお前『友達』だから」っていう友達であることを強調した意味での「My Frined」だよなあ。「Dear Boyfriend」や「Dear My Lover」ではないってことだ。


「あの時のような気楽な気持ち どこかに忘れてしまったよね」は番組でも指摘されていたように、「この男、付き合い出してから単純に重い」である。「いつも居心地の良かったあの場所」は単に友達関係に戻ろうと言ってるのだ。そして「いつか最高の自分に生まれ変われる日が来るよ」という印象的なフレーズは「いつか最高の相手を見つける時があなたにはやってくるけど、その相手は私じゃないから」「あなたにはもっと相応しい相手がいるよ」的な相手を振るときの常套句であることは想像に難くない。決してエステでキレイになるなんて意味じゃあないんだな。ショックである。


当時イカ臭い男子中学生の自分には、この曲の持つ歌詞の恐ろしさなんて知る由もなかった。いやこの年になってようやくその怖さを知るのだから、まだまだやっぱり自分はイカ臭いんだろう。それより何より一番怖いのは、この歌詞の意味を知ってか知らずか当時の同級生の、いや同時代を生きた女ども(男もかな?)は楽しげに歌っていたという事実だろう。「この歌詞分かるわ〜」とか言ってたんだろうか。当時の自分がこの歌詞を女性の割と普遍的な心理を歌った曲だなんて知ったらどう思うか。タイムマシンが発明されたらとりあえずこの事実をあの頃の自分に伝えに行きたい。


今の女子中高生は「会いたくて震える」だなんて歌詞に共感を寄せているわけだ。それを「稚拙だ」なんて批判するのは容易い。ただ、もしかしたら自分のようないまだに中学生をこじらせているような人間からすれば、こんな「稚拙」だけども「好きであることを分かりやすく表現する曲」が流行っているほうが、精神的には「健全」なのかもしれないと思い始めた。男には到底理解できない「女の悪意なくバッサリ切り捨てる心情」が流行り曲に乗せられて世の中に流布しているほうが、よっぽど怖い。何が「Dear My Friend」だバカヤロウ。いったん付き合ってるのにまた「いい友達に戻ろう」だなんて、そんなに都合よく生きていけるもんなのか。完全に心当たりがある自分からすれば胸が痛い。そして死にたい。