論点はそこじゃない

今年も「24時間テレビ」が終わりました。


毎年話題になるのは「チャリティなのにギャラ(製作費)が高額で、それらを募金にまわせばいいんじゃないの」と「マラソンどうなのよ」の2点である。それこそ自分がこんな文章を書き始めた10年前からずっと言われ続けていることであり、まるで進歩がない。文句をたれるのも「24時間テレビ」の一部となりつつある。


ギャラ・製作費の問題は「まあ確かにそうかもしれないけど」というレベル。日テレが淡々と黙々と募金をするのは「カッコイイ」のかもしれないが、チャリティの目的は「無料で募金を集める」だけじゃなく「障害*1を持った方々といかに向き合うか」という啓蒙活動も含まれているので、番組を作らずに募金だけというのもちょっと違うんだと思う。また一企業である以上、あれだけ盛大なイベントを無償というわけにもいかない。


もちろんそれにしては番組が雑だとか幼稚だとかワンパターンだという批判はあって然るべきだとは思う。自分は基本的に「24時間テレビやればいいじゃん」派なので番組の存在は否定しないが、かといってここ数年マトモに見た記憶もないので、それだけ「コンテンツとしての魅力」には欠けているということでもある。啓蒙活動に成功してないつうことなんだから、そもそもの企画はよくても番組としてはどうなの?という感じ。


その最たる原因はやっぱり「マラソンを走ることの無意味」なんだろうなあ。最初はランナーでもあった間寛平が「自分の出来ること」として長距離を走ることで勇気と感動を与える企画になったわけだが、今ではまずマラソンありきで物事が進むのだから、意味がやっぱり分からない。今年のランナー森三中の大島であれば「24時間マラソン」ではなく「24時間耐久キングコング西野とガチ喧嘩」のほうが感動を呼んだはずである。


さらに今年のマラソンの悪かった点として「誰も聞いちゃいないのに旦那が流産の告白をした」ところが挙げられるだろう。要するに感動の後付じゃないすか。そういう本当に悲しい話をこのタイミングでするのは、本当の意味での「卑怯」ですよね。だって批判しにくいじゃない。感動しなきゃいけないものとして確定するじゃない。twitterで陰口のように著作の批判をすることとどっちが卑怯かといえば、自分はこっちのほうが卑怯だと思うんだがいかがなもんか。


とまあ、毎年この2点に関しては通り一遍の批判をしたところで「はいそうですか」で終わってしまうんです。けど今年に関して論点はここじゃないと思っている。


「今年のチャリティTシャツが圧倒的に気持ち悪い」


でしょうよ。何あれ。いやもちろんあのTシャツが芸術家草間弥生と嵐大野智の共同創作の賜物であることは存じていますし、草間弥生が水玉にこだわっているというのも知っているので、結果ああいうTシャツになったところまでは別にいいんですよ。


けど気持ち悪いでしょアレは。前衛芸術としてならアリなのかもしれません。それは「見たい人が見る」んだから。けどあの気持ち悪いTシャツでもってずっとテレビに出られた日には「うわぁ」と思ってしまう。ここ数年のTシャツは結構ひどいというイメージがあったが、今年は群を抜いて酷い。もちろん個人的感想ではあるんだが、大島のマラソンなんかよりよっぽど見るに堪えないのは、Tシャツのほうだろうよ。


歴代のシャツの中には、街中で着ているのを見かけると「おっ」と思うものがある。たまに見るし。けど今年のTシャツを街中で普段着している人を見たら、色んな意味でその人のセンスを疑うと思う。あれはない。

*1:現在は「障がい」と書くのが一般的なのかもしれませんが、ただの言葉遊びと感じているので「障害」と表記します。悪しからず