ドラマご都合主義番組

「Oh, My Dad!!」が割と悲しい感じで面白くないです。


いやまあ色々原因はあると思うんですけど、なんか自分は劇中の織田裕二と現実の織田裕二が悪い感じでリンクしている気がするんですね。主題歌を歌わない織田裕二のドラマなんて織田裕二のドラマじゃないですからね。そこらへん織田裕二織田裕二たる所以ですからね。ただ織田裕二言いたいだけではないんですよ。簡単に言えば、織田裕二が色々譲歩した結果があのドラマかいな、と思えてしまうんです。


そんな本筋の悲しい話は今回どうでもよく(いいのか)、第3話に登場した「ご都合主義すぎるドラマの中のテレビ番組」について考えてみたいと思う。第3話で新海こと織田が連絡が取れなくなった妻こと鈴木杏樹にアピールするために、生放送のクイズ番組に出演するわけですが、これがもう哀しくなってくるくらいにつまらんのです。ええ、クイズ番組が。


ドラマの中には度々「ドラマの中のテレビ番組」が登場します。それはまあ別に不思議なことではないんですが、自分が常々思うのは「ドラマの中のテレビ番組は悲しいまでにご都合主義」だということ。簡単に言えば「こんなつまらない番組は、現実世界では絶対に放送されていない」ということなのである。じゃあなんでそんな番組が劇中に登場するかといえば、ドラマのストーリーに必要だという「完全なるご都合主義」だ。


無論ドラマの中のあらゆる事象は「ご都合主義」で回っているので、別にドラマの中のテレビ番組だけを「ご都合主義」と責めても仕方ないのだが、ふと「実際にテレビ番組をいろんな苦労をして作っている人たちが、なぜドラマの中の番組にはこんなに無頓着なのか」と思えることがあるのだ。あんなにつまらなそうな番組をドラマの中に登場させて何とも思わないのか、と。


今回ドラマの中に登場したクイズ番組「クイズ・グラディエーター」はひどいもんだった。まず日曜日の昼間に生放送のクイズ番組なんて、どう考えても放送されない。フジテレビの編成は実際に日曜昼間にクイズ番組を生放送でやれると考えたことはあるのだろうか?自分はないと思う。そして1vs1の早押しクイズという、シンプルにもほどがある番組が本当に人気があるのだろうか?そしてあんな仰々しいセットのクイズ番組を、2013年のこのご時世に放送するなんてことがあるのか?考えれば考えるほど、あんな番組は「ありえない」のである。


もちろんドラマが「ありえない」のそもそもの根源なので、その中のテレビ番組なんて「もっともっとありえない」でいいのかもしれない。しかし、我々はドラマをテレビで見ているわけで、言うならば最も身近かつよく知りうるものなのである。そこに「ありえない」ウソがあまりに分かり易く登場しては、フィクションだと分かっていてもやっぱり「そりゃないわ」ってなるような気がするんだけども。


自分が思うに、ドラマの中のテレビ番組はすべて大袈裟なものが多い。それは実在する番組のエッセンスを分かり易く抽出するとそういうことになるんだと思う。要するに視聴者に「こんな番組をイメージしてくれ」というのを提示するための装置なのだが、自分はつい「そんな番組20世紀にしかないだろ」と思えてしまうのだ。いい加減ドラマの中のテレビ番組も「ストーリーに必要なご都合主義のしょうもない番組」から「実際あるかもしれない人気番組」に進化してくれないかと思う。ストーリーご都合主義のドラマ内番組が登場すると、とたんにドラマそのものがつまらなく思えるんだもの。実際にあんな番組が放送されるのか?という視点は不要なのだろうが、自分はすごく気になる。