大人は教えてくれない


プロ野球の統一球が今年からちょっと飛ぶ仕様に変えられていたことが発覚。今年度のシーズンが開幕する前、つまりはオープン戦あたりから「なんか今年の球は去年より飛ぶんじゃね?」てなことが囁かれていた記憶がある。NPBの発表だと「開幕戦までに在庫を処分し、今の(去年より飛ぶ)球にスムーズに移行するようにした」つう話なので、オープン戦から飛んでいたというのはただの記憶違い、あるいは選手側の錯覚だったのかもしれない。しかし開幕してからの成績を見れば一目瞭然。去年より明らかにホームランが増え、点数的に派手なゲームが増えた。だからこそまとことしやかに「ボール飛ぶようになった」説は囁かれていたのだ。何も今になって急に浮上した話ではない。


野球の醍醐味はいろいろな考え方がある。投手が0点で投げ合って1点を奪ったほうが勝つという展開も面白いし、また、バッターが打ちまくる、いわゆる「乱打戦」というのも見ている分には面白い。家で手に汗握りながら見るには前者がいいし、球場でビール飲みながらワーワー言うならば後者もまた捨てがたい。なにせ、派手に点数が入ったほうが、野球にあまり興味がないけど観戦に来たという人にはわかりやすいし面白い。だからどっちがいい、悪い、という話ではなく「打ち勝つ試合」の面白さが去年は少なかっただけに、そういう盛り上がりに欠けたという意見は至極まっとうだ。


それはプレーをしている選手が一番感じていることでもあり、当然ながらバッター側からは「もうちょいなんとかならんのか」という意見はあった。だからこそ、その要望に応えた形が今回の「反発係数見直し」ということ。国際大会対策とか言いながら結局勝てなかった今年のWBCだったり、そもそもオリンピックに競技として復帰するかも怪しいのにそんなに「飛ばない球」でやる必要がないというもんだ。結局今までの球でやってても大して変わらないだろうという意見になり、また興行的に不評であればそこを見直すのは当然のことだ。


そもそも間違えてはいけないのが「ボールを去年より飛ぶものにすること」に対しては、何の批判もないということ。なぜなら望まれたことだから。じゃあ何を批判しているのかといえば、選手側としては「昨年を鑑みた今年の契約ゆえ、そこに不利益が生じるかもしれないこと」だ。そりゃ「飛ばないボール」という前提であるならばピッチャーであれば去年と同じ数字を今年も残せなければ減俸、バッターは逆に去年より打ちまくったら大幅に給料が上がる、なんてことが起こりかねない。昨年と同じことをやっているのに結果に不平等が生まれるのであれば、それは選手としては「そりゃないよ」と言いたくなる気持ちはわかる。


加えて、「今年はボール飛ぶように変わってるんじゃないの?」の質問に対して、「変わってないよん」と答えていたこと。これの印象が悪い。けど自分はこの質問があって、この答えが出されたときも「反発係数内に収まっているのは変わってないだけで、どうせその範囲内で飛ぶようにいじってるんだろ」と思っていた。事実その通りだった。大して野球に詳しいわけでもない自分ですらそう思っていたんだから、これで「ウソつかれた!」と思っている人は、結構めでたい人なんじゃないか。普段から詐欺に気を付けたほうがいい。ただまあ、ウソを(コミッショナーの説明を真に受ければ、ではあるが結果的に)つかれていたのは事実なのでこの点で怒りを覚える人はいるんだろう。


しかし、それ以上のことがあるだろうか?


選手が怒るのはまだわかる。けどそれはあくまで「来年の給料保障してくれんのか」という面での怒りであり、「何のアナウンスもなく球が打ちやすくなってんじゃねえよ」という怒りではない気がする。球が飛ようになったのはもう現場レベルではとっくにわかっていたことであり(むしろわかってないほうがおかしい)、「今更明らかにしてんじゃねえよ」という怒りならばこれまた分からないわけではない。なんか言いたくなる気持ちはわかるが、それ以上のもんじゃないだろう。


でも何で選手でもなんでもない人が怒ってるのか?意味が分からん。ボールは規定の反発係数内に収めた変更であり、別にルール違反をしているわけでもない。もちろん説明があってもいいとは思うが、わざわざご丁寧に説明するようなことなのだろうか、という自分の疑問を解消してくれる説明はどこにも見つからない。当たり前だ。そんな必要ないからだ。あくまで「昨年より飛ぶ」ように調整をしていただけで、規定に違反したボールにしたわけでもなし、それをいちいち「今年はちょっとだけボールが飛ぶようになりました」とプロに対して説明しなきゃいかんのか?それはなんか違う気がするんだけど。


この問題は「言わないこと=隠している=悪」、あるいは「ウソついたこと=隠している=悪」というアホの三段論法思考回路の人間が騒いでいるだけじゃないか。


確かに色んなお役所は今まで散々自分たちの悪事に対する「説明責任」を果たさず、隠蔽してきた。それはもちろん悪いことだ。そのことによって不利益を被る人がいればなおさらである。しかし、今回の問題で不利益を被ったのは誰か?まあ強いて挙げるならば「防御率が高かった投手」だろうがそれは去年いい思いをした反動といえなくもないわけで、決してどっちが善、どっちが悪の二元論で語れる問題ではないだろう。だから、この問題に少なくとも「悪」は存在しないんじゃないか。公益に適わないなんてことは全くない。昨年評判が良くなかったことを受けて、1年で飛ばないボールをあっさり変更したという「後ろめたさ」はNPBには存在するだろうが、裏を返せば選手たち、そして観客の潜在した要望に応えただけとも言える。どう考えたって「悪」ではない。だからまあ、早いとこ説明すれば良かったんじゃね?という批判はあっても仕方ない。


けど自分はそんなに正しい人間ではないので、「まあ、後ろめたいし、言わないでおいてもいいかな」という気持ちにコミッショナーがなったのはよくわかる。だってそもそも隠しておいても何か重大な損害が出るわけでもなく、単に「コロコロ変えてんじゃねえよ」と嫌味を言われるだけ。だったら説明しない。大人として当然の選択だ。余計な面倒を起こさないためにもミズノにも口裏を合わせさせる。至極当然だ。ダメな判断かもしれないが、何か公益を損なう重大な損害が出るわけでもない「些細な話」を「ダメだ」と断罪できる人間の「立派さ」のほうを自分なら胡散臭く思う。もちろんこの判断に対して逆ギレなんかしようもんなら最低だけども、ふつうに出てきて謝る分にはもうそれでいいじゃない。


これを「不祥事」と捉えている人間には、何が「不祥事」なのかを説明してもらいたい。「言わなかった」ことが不祥事か?言わなかったことで何か甚大な問題があったのか?それとも「隠せばみな不祥事」とでも思っているのか?もちろん「悪いことは隠す」という理屈は一理あるんだろうが、必ずしも「隠すことは悪いこと」ではないだろう。


詰まるところファンからすれば「教えてくれなかったから、あるいはウソつかれたから気分悪い」というだけの話じゃないか。気分を害したことに関してはファンの立場から謝ってもらえばいい。それで済ます程度の話でしかない。「飛ばない球のほうが緊迫感があってよかった」というのならばもう仕方ない。あきらめなさい。けれど「不祥事」に仕立て上げたり、辞任を要求したりするのは、自分のアホさを露呈するだけだろう。こんなもの不祥事でもなんでもない。なぜ何でも教えてくれると思うのか。


カイジ」の登場人物である利根川はこう言う。


「大人は質問に答えたりはしない。それが基本だ」


NPBも自分も、バカの三段論法に付き合ってるほどヒマじゃない。喚くな煩いから。SODの本物の社員はAVには出ない。「あの社員は本物です」という説明も「やっぱりAV女優です」という説明もしない。けどAV女優だと発表しても誰もSODの社長が辞めろとは思わないんだ。そういうことじゃないか?

※追記
コメントで頂いた通り、過去2年の反発係数が基準より下回っていたようで。となるとちょっと問題ですわなあ。この点に関してはこいつを書いたときには知らなかった事実なので勘弁願います。あと飛ばない統一球が1年じゃなくて2年だったのは完全にこっちのミスです。ごめんなさい。

とはいえ、やっぱり飛ぶようにこっそり、いやかなり分かりやすく変更したのを黙っていたのはそんなに悪いことではないんじゃ?というのが自分の見解であるのは変わらなかったりします。