自己啓発本が嫌いな理由

怒り新党」で有吉弘行が「自己啓発本が嫌いな理由」に関して「啓発本を買うことで、啓発本の著者がまた成功してしまう」という趣旨の発言をしていて、素直に興味深いと思った。


自己啓発本とは何か、つうのを説明するまでもないとは思うのだが、要するに「成功者が自分の成功体験を記すから成功してないやつは真似してみれば」という趣旨の本である。こんな書き方をすれば本当に身も蓋もないのだが、本当のことだから仕方がない。そしてこの書きっぷりを見ればお分かりのように、自分はまるでこの手の本に興味がない。


そもそも自己啓発本の意味が分からないのだ。なんで他人の成功体験を読まなければならないのか?その成功体験を読んだからといって読んだ人は成功できるのか?あるいは成功した気になるのだろうか?いやもっと言えば何をもって成功と言えるのか。性交であれば穴に入れた(入った)時点で成功だろうが、人生の成功を決めるのは難しい。だからこそ、裏を返せば「この本を読んだことで成功した気になってくれればそれで成功」なんだろうな。つまりは自己満足でしかない。


だったら自己満足の方法って色々あるじゃない。自分が先日のエントリで誰も興味がないももクロ大冒険の話を書きなぐることも自己満足の一種であり、それで充分ともいえる。まあ実際に自己啓発本を読むことで人生が好転した人もいるんだろうから、必要以上の否定をしなくてもいいとは思うのだけど、やっぱり苦手なのですわ。そもそも自分の成功体験が他人にも適用されるなんてことがまず稀じゃないのか、とか、書いていけばキリがない。


でもこれって、たぶん自己啓発本の著者がいちばんよく分かってることだと思うんだよなあ。自分の成功体験で他人も成功すればいいだなんて思っている人は本当にいるのか?ただ単に「自分の成功体験は金になる」と思っているからこそ出版するんであり、結局他人に自分のマネは出来ないと思っているからこそ、その秘訣も話してしまうのではないのか?こんなことを考える自分はやっぱり狭量なのだろうか?


なもんで、有吉の「成功者がまた成功する手助けになる」という考え方で自己啓発本を否定するのは、まことにもって正しい話だと思う。啓発本の胡散臭さの本質を突いているような気がする。自己啓発本を購入するという動作は、その自己啓発者の権威を高め、なおかつ「啓発する者」と「される者」の身分差を自分で確定させているような気がしてならない。そんな本を買う奴がいるから成功者は成功するんだよなあ、と。