そしてまた笑いだす

あの大きな地震からはや1週間以上が経とうとしています。こんなことを書くとすでに「過ぎ去ったこと」と捉えてしまう方もいるかもしれません。現在進行形で被災している人がいる中で、やはりどこか対岸の火事であるという感覚が自分にはあるのかもしれません。頭では決してそう思ってないと考えていても、実感としてそうなってしまう。よくないことです。


テレビもNHK以外は大体通常営業に戻りつつある。いつまでもすべてが非常事態であるよりは、これが自然な流れだろう。必要以上に日本中が滅入る必要もないだろうし。


でまあ、テレビがようやく通常営業に戻る前まで、さほど見るものがなかった自分としては地震以前に放送された番組を消化することが出来て、ようやっとナイナイ20周年の「めちゃイケ」を見たわけですが、本当に面白かったです。地震以前に放送されて本当によかったと思う。


もしこれが地震以後の放送だったら、ということを考えてみる。被災された方は素直に笑えないだろう。実際に被災したサンドウィッチマンが「今は笑いを必要としていない」なんてことを言っていた。現地はもちろんそうだと思う。自分だって当事者であったら絶対に笑えていない。しかし地震から数日経ってからこの放送を見た自分は、不覚にも、という言い方はめちゃイケの制作側に申し訳ないのだが、腹を抱えて笑ってしまった。特にたけしとナイナイがフジテレビの地下駐車場で争うシーンは、たけしがああいうドタバタをやらせたら世界一であることを証明するかのような面白さ。


もちろんこれが笑えるのは自分が被災していなかいらだ。しかし自分はもしかしたら被災してもなおこの映像を見て笑えているのかもしれない、とふと頭をよぎったりした。実際は多分無理だろう。すべてが流された人が矢部のベンツのミラーがボコボコにされるシーンを見ても、それはやはり「いやいや、お前はベンツだけじゃん」となるに決まってる。しかし自分はやっぱり矢部のベンツがボコボコにされるのを見て笑ってしまうんだよなあ。笑ってる場合じゃない状況ではあるんだが。


けど結局は「笑ってる場合なのかもしれない」と思うわけだ。どんなご時世でも面白いものは面白い。不謹慎と言われても面白い。自分には笑うことしかできない。笑わせることはできなくても笑うことはできる。だから笑う。そうシンプルに考えてもいいんじゃないかと思うわけだ。


Rhymesterの新作のアルバムの2曲目(実質の1曲目)に「そしてまた歌いだす」という曲が収録されている。地震に対して作られた作品ではないが、「こんな世の中でも歌がある限り歌ってる場合なのだ」というメッセージが込められた曲だ。これが非常にいい。最近ずっと聴いている。


歌詞はこんな感じ
そしてまた歌い出すの歌詞


曲中で「歌ってる場合ですよ」という歌詞があるのだが、これはもともとは「いいとも」の前番組であった「笑ってる場合ですよ」を踏まえたものだろう。だからこそ自分はこの曲を聴いて「笑ってる場合ですよ」と自己正当化するのである。


今はまだ笑えない人も、そしてまた笑いだしてほしいと思います。







最後までマジメなこと書くのもあれなんで、今日の結論は「おっぱい触りたい」にしておきます。そしてまたオナりだす。