トリックアート

「しゃべくり007」におかもとまりが出てました。おかもとまりは「広末涼子に似ているモノマネ芸人」として最近売り出し中。ちょくちょくバラエティ番組で見かけるようになった。


自分は広末涼子という女性が自分の人生を最初に軽く歪めた人物と認識している。簡単にいうと「最初にハマったアイドル」というわけだ。まあハマったといってもせいぜい雑誌の類を読み漁り、出演番組を欠かさず見ていたという、まあ中学生相応の気持ち悪さを発揮していたというだけである。


なわけで、広末については一家言ある自分であるが、おかもとまりに関して言えば「悪くない」である。特別好きなわけでもないが、別に否定的なニュアンスがあるわけでもない。


ただ、自分はおかもとが広末似であることを「ドンピシャな広末では全くないにも関わらず似ているという不思議」と捉えている。換言すれば「過去のどの広末にも似ていないのになぜか広末に見える」ということだ。


おかもとは広末の真似をするときに「キメの角度」を持っている。カメラに斜に構えてクビをちょっと傾ける。するとどういう加減か、なぜか広末に見えるのだ。確かに昔の広末も輪郭の丸さを誤魔化すためにあの角度のグラビアが結構あったことを思い出す。


しかし、おかもとはあの時代の広末の顔ではない。当たり前だがもっと童顔だったのだ。ではおかもとが今の広末に似ているかといえば、これも違う。今の広末はもっと大人だ。じゃあ現在のおかもとの年齢である二十歳前後の広末に似ていたかといえば、これもあまり似ていないのだ。


つまり、おかもとはどの時期の広末にも似ていないにも関わらず、「どこかの時期の広末」として存在するのだ。かつてそうであったことはないにも関わらず「あの頃の広末」として。要するに「なんとなく広末」というわけだ。どこが似てると明確に指摘できない。詳細に追っていくと部分は似ているのかもしれないが、解釈としてなんか違う気がする。


自分には漠然と「パーツも骨格も違うけど広末」のような気がしてならない。根拠はない。実は全く違う顔なのに広末に見えてるんじゃないのかという気すらしてきた。つうわけで、自分はおかもとまりをトリックアートと呼びたいと思う。無論本来の意味とは全然意味は違うんだが。


ちなみにおかもとが出ていた同放送の感想を簡単に書くと

ミラクルひかる老けたな

・モデルいけすかねえ

の2点です。