わたし女子アナになるのは違うと感じてた

モー娘。紺野あさ美がテレ東の女子アナに内々定したとかそうでないとか。


以前も同じようなケースで、アイドルの平井理央がフジの女子アナに内定したとかそうでないとか、つう話題が起きたときも「本当なのかな?」とここで書いたことがあったのだが、結局本当だった。「アイドル女子アナ」という言葉があるけども、「アイドルが女子アナ」は平井に続いておそらく2例目である。平井理央もそこそこ有名なアイドルだったけども、さすがに全盛期のモー娘。の比ではない。世間の紺野の知名度がどこまであるのかちょっと想像はつかないが「元モー娘。が女子アナ」といえば、そりゃあ話題になること請け合いなのである。しかもその就職先がモー娘。を生んだ「ASAYAN」を放送していたテレ東というのだから、マッチポンプも甚だしいと言われても仕方がない。


で、今年も「ハロプロ楽曲大賞」に投票している古参ヲタ(と言えるほどとっくにヲタらしいことはしていないのだが)の自分が紺野に対して抱く感情といえば


厭だ。


の一言でしかない。京極夏彦風である。別に堂々と「嫌だ」「嫌いだ」と表明してしまっても構わない。


では何がイヤなのかといえば、自分は紺野の「ぬけぬけと人生に成功している感じ」が本当にイヤなのである。なんだか最もアイドルに遠い位置にあるような気がしてならないのだ。


モー娘。において紺野の同期といえば、現モー娘。リーダーの高橋、そしてサブリーダーの新垣、さらには娘。を紺野と同時期に卒業しNZに謎の留学を果たし、そして日本でよくわからない活動をしている私の一推しである小川麻琴。彼女らはモー娘。全盛期直後に加入し、緩やかにダメになっていくモー娘。を身をもって体験しているわけであります。いわば斜陽のモー娘。の申し子のような感じ。


高橋新垣に至ってはもはや泥舟でしかないモー娘。本体に居残ることでアイドルとしての、芸能人としての生き様をまっとうしている。そして小川麻琴嬢は「よくわからない卒業」「よくわからない留学」「よくわからない復帰後の活動」と、加入当初の器用貧乏が現在にまで至り、何か突出したもののないアイドルの虚しさを体現しているわけです。決していい部分ばかりを見てきているわけではないでしょう。


しかし紺野ときたら、沈み行くモー娘。から程よいタイミングで抜け出したと思ったら、大検を取り知名度を生かして慶應大学に入学、そして大学生を謳歌しつつもモー娘。OGとしてちゃっかり芸能活動も並行するくらいにして(当初はハロプロも離れて一般人の大学生になるみたいなことを言っていたのに、である)、そして今回晴れて女子アナ。バカな小学生が身の程知らずに描く人生設計図みたいな「人生上手く行ってる人」である。「ぬけぬけ」である。


自分はアイドルに、特にモー娘。には「物語」を要求してきた。今のモー娘。はともかく、かつてのモー娘。には物語が見えたからこそ興味を持てたし面白がることが出来たのである。それは今沈み行く泥舟に乗船している高橋新垣にも続いているし、「よく分からない」を一身に背負う小川麻琴にも続いている。人生上手く行かない部分、完璧じゃない部分があるからこそ人間として愛しいし、物語として昇華できる。


しかし紺野の人生はどうだ。あまりに「ぬけぬけ」過ぎて、都合よく物事が運びすぎていて、ちっとも共感できない。いや紺野さんだって彼女なりに努力はしているし、色々な物語を背負っているんだろうさ。けど自分はそこに共感できんのだよ。できんどころかイヤな気持ちになるんですよ。それはあまりに「ぬけぬけ」過ぎるからです。


それは単なる僻みなのかもしれない。そう思われるのならそれでも構わない。けれどもそんな批判を承知で自分は大きな声でこう叫びたい。


ああ、厭だ。


いずれ結婚するプロ野球選手が翌年戦力外になればいいと思います。そしたら紺野のことだから、何事もなかったかのようにぬけぬけと離婚して仕事に復帰するんでしょうけど。なんか未来予想図まで厭だな。