さすがとしか言い様がない

・ロンドンハーツ
3時間SP。特番時期も一段落したところでの3時間SPとはどういうことか、と思ったが納得の出来。これは特番組みたくもなる。


50TA」こと狩野英孝がエイベックスからCDデビューという話になり、新曲の製作及びライブ開催までの様子を追う、という表向きの話が進行するが、本当は狩野は楽曲を提供するだけであり、実際にCDデビューするのは青木さやかだったという話。狩野は当然に自分がデビューできると思っていたし、青木は青木でまさか自分のデビュー曲が狩野の楽曲だとは知らずのデビュー。つまりは二重構成のドッキリになっていたということ。


話の流れでは「誰も悪くないボタンの掛け違い」ということになってはいたが、ドッキリの事実を知ったうえで番組を仔細に検討すれば巧妙すぎる伏線が張られているわけで(狩野の名前を「桜田(山)神弥」にしたくだりは見事)、スタッフ及び田村淳が仕掛けた完全なるドッキリだということは言うまでもない。当然田村淳が知らないというのはウソ。


狩野は狩野で直球で投げても充分に面白いわけだけど、そこに青木さやかの裏ドッキリを入れることで「ただでは終わらない」というこの貪欲な構成。前回の狩野の盛り上がりを考えればここまでひねらなくても企画として成立するわけで、安易に続編を放送してしまいたくもなるところをこのひねり具合。もはや「さすが」としか言い様がないわけである。脱帽である。


本編とは全く関係ないところでさくらまやを挟んでおちょくってみたのも面白かった。もはや芸能界の大人はさくらまやの面白がり方を心得てしまっているわけで、どんな扱いをしても面白くなわけだけども、一方で半分おちょくり気味で扱うバラエティにも真っ向から出演するさくらまや側も地味に偉いよなあと思わないでもない。同じ子供でも加藤清史郎を取り巻く大人たちの打算とは一線を画している気がする。


しかしまあ、ロンドンハーツのドッキリは以前から「惜しげなく使う予算」と「田村淳の悪魔のような底意地の悪さ」が相俟って日本のみならず世界最高峰のドッキリを提供しているが、今回の狩野ドッキリ(とみせかけた青木のWドッキリ)で見せた「あとから思えば不自然だった気がすること」の伏線はまるでちょっとした推理小説を読んでいるかのような爽快さ。田村淳が政界進出なんて噂もあるが、これほどの「ドッキリ」の才能を持つ人間を政治なんかに取られてはいけないと思う。生涯をドッキリの仕掛け人として費やすべきだ。