それはおまえの好みの問題

酒井法子の逮捕は色々と波紋を呼んでいますけども、ひとつだけ報道で気になることがる。「奇行」という言葉を恣意的に用いすぎだ。


「奇行」つう言葉を手元の集英社国語辞典で調べると「並外れた風変わりな行動」とある。一部で報道されているクラブでの異様なハイテンションは「奇行」という言葉がしっくり来る。しかし「梵字のタトゥーを入れていた」ことまで「奇行」という言葉で片付けてしまうのは、それはどうなんだ。


事務所の社長が記者会見で触れているが、タトゥーはファッションの一種と解釈することも出来るわけで、こいつを奇行とするには明らかにクスリのほうからアプローチした結果でしかない。別に渋谷や歌舞伎町をウロウロしている若者が梵字のタトゥーを足に入れていたからといって、それを「奇行」とは絶対に呼ばないのに、なぜ酒井法子に関しては「奇行」になってしまうのか。


クスリをやっている人間は必ず梵字のタトゥーを入れるわけではない。あくまでクスリをやっている人間はそういう類のものを好む傾向がある、程度の話に過ぎない。しかも統計ではなくイメージの産物。だからどれだけ好意的に言葉を解釈してもタトゥーは「クスリをやっている人間の兆候」でしかない。クスリをやった結果の「奇行」にはならんだろう。


それとも未だにマスコミの方々はタトゥーを入れることそのものが「奇行」とでも思っているのだろうか。「蛇にピアス」は芥川賞を獲ったんじゃなかったっけか。いや別にタトゥーそのものを肯定しているわけではない。自分だって別にタトゥーなんか入れたいと思わない。でもタトゥーを入れることが「奇行」だなんて、そんな時代ではもうないだろう。だったらなぜタトゥーが「奇行」扱いされるのか。


それは酒井法子を「清純派のアイドルだった」という目で見ているからであって、あくまで「俺の知ってるのりピーじゃない」「のりピーならこんなことしない」という意味での「奇行」だろう。ファン心理として分からない話ではないけど、ニュースの報道として「奇行」扱いしてするべき話ではない。家でぼやいてろというレベルだ。


クスリの結果として「おかしい」行動と、ファンのイメージと合致しない「おかしい」行動を一緒くたに「奇行」というのはやめたほうがいい。以前広末涼子にも奇行騒動が持ち上がったことがあったが、あれはファンのイメージとも合致せず、そして一般人の行動としてもおかしかったから「奇行」と書かれてもすんなり納得できたわけだ。でも酒井のタトゥーはクスリというフィルターがなければファッションの範疇を出ない話で、奇行扱いはおかしい。クスリやってりゃ何でも奇行つうのはバカの発想だろ。


酒井のタトゥーが奇行なら、自分からすれば辻のできちゃった結婚も「奇行」だし、加護の喫煙および中年オッサンとのデートも「奇行」だ。でもこれを誰も奇行と呼びはしない。なぜなら一般の感覚に照らし合わせれば、行動そのものは奇行でもなんでもないからだ。むしろこんなことを声高に街中で喧伝するほうが奇行扱いされるだろう。いいかげんこんなバカげた話をマジメに「奇行」扱いして報道している自分たちのほうがよっぽど奇行していることに気付いてほしい。