「つまらなくなった」のではない

西川史子が婚約。石田純一の交際発表会見同様に「かなりどうでもいいこと」ではあるのだが、ワイドショー的に「とりあえず何言っても怒られることはない」ので、非常に扱いやすい。ゆえに「かなりどうでもいいこと」ではあるけども、とりあえず取り上げられるという類のニュース。


西川史子は今まで「結婚相手は年収4000万円以上」という条件を挙げていた。それを今回

「お金じゃないですね。愛ですね。本当につまらない女になってしまった(笑い)。お金より大事なものがあるってことに気づいてしまった。」
引用ニッカンスポーツ

と、今までの発言を撤回した。そして自ら「金ではなく愛」という発言がありきたりであることを指して「つまらない女」と自分を評したのである。


何の気なしに読んでいると「まあ、そんなもんか」と読み流してしまいそうな話ではあるが、よくよく考えるとおかしい部分だらけなのである。以下検討。


まず、西川史子の結婚相手はそもそも「年収4000万円以上」の条件を満たしているのかいないのか、実のところよく分かっていない。記事だけ読めば「金より愛なのだから、結局年収4000万円以上はなくても結婚することにしたんだろう」と思ってしまう。しかし一言も「年収4000万円以下」だとは言っていない。


婚約した福本亜細亜氏は元葛飾区議で会社役員。ネットで軽く検索してみると、かつて週刊誌に載った記事などから、彼が資産家の家の生まれであることが分かる。現在も素性は定かではないが会社役員であることから、年収は4000万円には届かないかもしれないが、とりあえず普通のサラリーマンよりかは金を持っているだろう。我々が「金より愛」という字面から受け取るイメージよりははるかに「金」の重きは強いように思える。むしろ「金かつ愛」みたいな表現のほうが正しいのではないだろうか。


そして何より自分が引っかかるのが「つまらない女になってしまった」という表現。


「金より愛」という考え方はつまらない。なぜならありきたりだからである。西川史子の中にはこのような論法が成り立っていると思われる。今までの信条は「愛より金」だったから自分はつまらない女ではなかったと言いたいのである。


しかし自分は思う。別に「愛より金」の信条だってそもそもそんなに面白いもんではなかっただろ。


西川からすれば「愛より金」から「金より愛」になってしまうことは「つまらなくなる」という理解のようだが、自分にはどうしても最初から「愛より金」という信条に、キャラクターに「面白さ」(あくまで「つまらない女」の対義語としての「面白い」であることに注意。「魅力的」とでも言い換えるべきだろうか)を感じていた人なんか殆ど存在しないのではないかという気がするのだ。「つまらなくなってしまった」のではない。「ハナっから芸能人としての西川史子はつまらなかった」のだ。それを勝手に「面白かった」「魅力的だった」ことにされても困る。


女医やらミス日本やらという要素を抜きにすれば、タレント西川史子の唯一最大の売りは「結婚相手に対する高慢ちきな高望み」というキャラである。本人からすればそれが魅力的だから、面白かったから世間に受けたと思っているのだろう。だから「愛より金」というキャラが「つまらなくない」と思うのは必然なのかもしれない。しかし、「愛より金」という普通と裏返しの価値観はキャラづけとしてはありきたりであり、その価値観を元に戻したくらいで「つまらない女」になるほどそもそも面白みを纏ってもいない。


西川本人は「これでようやく高望みキャラを卒業出来る」と安堵しているのかもしれない。しかしそれ以上に視聴者は「西川のさほど面白くも魅力的でもない高望みキャラに付き合ってやらないで済む」と思っているんじゃないか。


西川が本当はいい人でさほど高望みもしてないが、そういうキャラだし視聴者が望んでいるからということで高望みキャラを演じる。視聴者もうすうす西川がキャラを演じていることに気づいているしさほど望んではいないんだけども、西川が「そういうキャラ」ということで演じるキャラを甘んじて受け容れる。こんな「互いが分かった上での白々しさ」という面倒くさい関係性のどこが「魅力的」だったと言えるのか。


西川史子は「つまらない女になってしまった」のではない。「最初からつまらなかったんだけども、ようやくつまらないことに相互理解が取れる状態になった」だけなのである。だから西川は安心して今までどおりにつまらないまま芸能活動をすればいいんです。