お約束なのだろうか

ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序
劇場では第2弾「破」が公開中であるところの、90年代アニメの代表作「新世紀エヴァンゲリオン」のリメイク劇場版第1弾。


エヴァンゲリオンがヒットしたのは自分が中学生くらいの頃の話で、北海道ではちゃんと放送されてはいたし、同級生の中には劇場版を学校を休んでまで観に行く人もいたし、気付けば自分の担任までハマっていたりと「ブームであること」に自覚はあったけれど、その一方で自分はまるで興味がなかった。自分はどちらかといえばオタク寄りの人間ではあるしテレビも大好きなのだけれど、どうにもアニメに対する興味が薄い。嫌いなわけじゃないし見れば面白いと思うんだけど、積極的に見る気にならない。


というわけで「大雑把にどんな話かは知っているけれど、一度もマトモに見たことがない」という状態で今回の放送を見てみたわけです。もちろんこの手の類のものは「知らない人が見ても楽しめる」という建前で作られるものではありますが、どう考えたって知らないより知っている人のほうが楽しめるわけで、その点を鑑みても「話が端折られすぎていてなんだかよく分からなかった」という感想を残すのは野暮というもの。作品そのものについて感想を語る資格はハナっからない。批評すべき文脈も作法も分からない。


となれば自分が書くことと言えば、ぼさーっと映画を眺めていて気になったことを垂れ流すのみである。


アニメ全般に関する造詣がないので、これが「ヱヴァ」特有の描写かどうかは分からないのだが、なぜ「決して日常では捉えることの出来ないエロアングル」をちょいちょい挟んでくるのだろうか?


例えば碇シンジ葛城ミサトの家に住むことになり、ミサトとシンジがテーブルで向かいあって食事をするシーン。シンジが食べることに躊躇していると、ミサトがイスから乗り出してシンジに食べるように勧める。このときカメラのアングルはミサト側からイスを仰ぐように、つまりはミサトの尻を強調するようになっている。仮にこんな場面に遭遇することはあっても、決して女性の尻を仰ぎ見ることはない。


ヱヴァ知識がゼロの自分が推測したところで、このシーンが何を意図しているのかを正確に理解することは出来ない。TVアニメ版を通して見ていればこのエロアングルもシンジの思春期の性欲云々とかいう解釈が可能なのかもしれないが、映画を見ただけでは基本的に「なぜここでこのエロアングル?サービスなの?」と思うしかない。


ヱヴァ、ひいてはアニメ界全体においてこの手のサービスが日常茶飯事である場合、物語の流れに全く関係ないところでこういうシーンに遭遇してもアニメファンは「はいはい、サービスサービス」と受け流すのが正しいのかもしれないが、アニメ慣れしていない自分からすればいきなり謎のサービスカットに出くわしたところで「なぜここでそんなサービスが!」と完全に戸惑いの材料となるだけ。「こんなんAVでしか見たことないわ!」と思うもの。


こういう謎のサービスカットを平気で受け流すことが出来て初めて「ヱヴァ」を見る資格があるということなのかもしれない。このシーンの正確な意図を知っている、理解している人がいれば是非とも教えてほしいものである。