そのやり方

感覚的なものなので上手く伝わるか分からんのですが書きますと、「検証不可能なことで同情を誘う」のって芸能界では割とよくあることなんですが、それが事実かどうかに関わらずあまり気分のいいものじゃないなあ、と思ってまして。


タレントで元ミニスカポリスでもあった来栖あつこという女性が、自身のブログで「これからご心配、ご迷惑をかけるかもしれない皆様、本当に申し訳ありません」という意味深な記述をしたことに端を発し、女性週刊誌で交際していたタレントに多額の金を貸していたりしたものの破局、自殺未遂にまで至っていたという話をしていた。


この発言に関する記者会見を来栖が近々開くらしいのだけど、どうやら25日に発売される本人のDVDの宣伝も兼ねている、というかその宣伝のためじゃねえのかという説が濃厚なこともあって、かなりキナ臭いのであります。


無論宣伝は宣伝なのかもしれませんが、この発言が本当かウソかは分かりません。一番問題なのは前述のように「真偽の分からない検証不可能なことでとりあえず同情を誘おうとすること」なのです。極端な話をすれば、たとえウソであっても「それがウソである」ということがあからさまで他の目的が明確である(例えば今回はDVDの宣伝である)場合はまだマシだと思うのです。なぜなら「同情を誘おうとする」ことの目的がはっきりしているから。


しかし今回来栖が言い出したことは基本的に男女関係のことであり、当人同士にしか真偽は不明。しかも相手が相当に不利な内容。それが大袈裟に誇張されていようとも、少なからず本当の部分があればどんなに釈明しても最初に与えた心象は覆りにくいものです。明らかなウソが発覚しない限り、そりゃあまあ「あった」「なかった」の事実確認の点で泥仕合になります。ただまあ基本的には「あった」「なかった」の話は当人同士しか実際の所を知り得ないわけです。


つまりはこの来栖の一方的な発言からは「真偽はともかく、とりあえず同情されたり他人の関心を惹きたい」という“事実”しか感得できないのです。それが実際は「DVDの宣伝」とははっきりと申してはいないけど、なんとなくそうであることが臭ってくるだけ。このやり方は非常にいやらしい。


最近の似たようなケースでは上原美優。「世界仰天ニュース」で本人及び本物の家族出演によるVTRでもって、彼女の種子島での極貧生活を再現。そこまではよくありそうな話だが、その再現VTRの中でレイプされたことを臭わす描写があったこと。はっきりとレイプだとは表現されていない(「最悪の事態」という描写だったはず)が、VTRを見た人の多くがそう思う感じ。


しかし実際にレイプがあったかどうかは分からない。そんな重大な事実(事実だとすれば重大だと自分は思う)を再現VTRでさらっと告白していいもんなのか、と思うし、そんな人生に暗い影を落とす内容を家族が出てきて再現VTRで作るもんか、とも思う。要するに過去のこととはいえ被害者の深刻さにどうも欠けている。


ただやっぱりいち視聴者としては最終的な判断は下せないわけで、そもそもVTRでそのような描写を匂わせていただけでレイプとは一言も言ってない。だからレイプなんて全くなかったのかもしれないし、未遂事件のようなものが少なからずあったのかもしれない。真偽は全く分からない。けどやっぱり残る事実としては「とりあえず同情や感心を惹きたい」という見え隠れする下心でしかない。彼女の場合は再現VTRでドラマ化されたエピソードそのものが番組放送と前後して発売されたから引っ張ってきたものである。


これは来栖よりはあからさま過ぎるくらいに「本の宣伝」ではあるけど、その宣伝VTRで真偽の怪しいレイプのエピソードを持ってくるあたりに、相当ないやらしさは感じる。極貧生活云々よりも完全にイヤな部類の同情を誘っている。


来栖にしろ上原にしろ、同情を誘うために出してきた話が事実かどうかは分からない。分からないんだけど、それが事実かどうかに拠らず「なんかイヤなやり方だなあ」というのははっきりしている。自らを切り売りすることは芸能界では珍しくないし「販売戦略」といえば聞こえはいいんだけど、こういうやり方は一時のカンフル剤にしかならず、結局はまた自分を切り売りするしかない立場に追い込んでいくのだと思うのだが。いい加減別のやり方ってもんがあるんじゃないだろうか。