テレビを見る幸せ

「幸せとはなんぞや」という難しいリクエストを頂いたのですが書いてみます。


元々自分は「楽しい」と感じることのハードルが異様に低い人間であります。個人的には非常に幸せなのですが、一般的にこれは幸せなことなのでしょうか。


世の中の人はいろいろな快楽を求めます。例えば「異性と付き合いたい」という欲求も、単に性的な快楽という意味ではなく「その後の人生を楽しく過ごす」という意味で快楽を求めた行動と言えますし、酒を飲むというのもその場の享楽を求めた欲求ですし、旅行だとかスポーツだとか、あらゆる物事には快楽に対する欲求がつきまといます。


でまあ、これらの快楽を満たすためにはある程度のハードルがあるわけです。異性といい仲になるにはそれ相応の努力をすることが必要ですし、スポーツでいい成績を残すならば練習は不可欠。旅行に行くにしてもそれなりのお金が必要です。程度の差こそあれ、より高い快楽への欲求を満たすためには、より高いハードルを課されることになります。だから人々はモテるための努力を怠らないし、お金を一生懸命稼ごうとするし、血反吐が出るような練習にも耐えるわけです。


しかし自分のような「テレビを見てれば幸せな人間」には、それらの努力が無縁なわけです。だって、テレビから流れるものを見ているだけで幸せなのですから。


大抵の人はテレビを見ているだけで快楽への欲求が満たされることはありません。なぜならそこに快楽を、楽しみを見出していないからです。簡単に手に入る分与えられる快楽も少ないと考えるのかもしれません。おそらく世の中全体の意見としてはその通りなのでしょう。「テレビがくだらない」なんて言説が簡単に流布するのはそんな理由があるのかもしれません。


確かにテレビから発信される情報に「快楽」の成分は少ないかもしれません。異性と付き合ったり旅行に行ったり、はたまた友人と飲んでたりするほうがはるかに「快楽」を感じる人は多いでしょう。自分もそれらの快楽の素晴らしさを否定するつもりはありません。当然に楽しいです。


しかし自分はそれらの強大な快楽を必要とせずとも満足する構造になっている。例えばテレビから得られる快楽が10だとし、前述したような快楽が100だとします(単純に10倍楽しいという意味ではなく)。このとき世間の人たちの「快楽を感じる数値」が90だとすれば、テレビを見ただけでは物足りず、当然にそれ以上の快楽を求めて行動をします。しかし自分のように快楽を感じる数値が5くらいの人間からすれば、テレビを見ただけで完全に楽しい。快楽の余剰値が95もあるようなものを積極的に摂取する必要はないのです。自分なりの快楽を満たすことが出来る範囲で愉しんでいるに過ぎない。それらの快楽に対する努力をしない、する気が起きないという言い訳でもある(笑)。


にも関わらず一般的に快楽を感じる数値の高い人たちは、低い人たちのことを下に見る傾向がある。自分はテレビを見てりゃ楽しいのに「テレビなんか見て何が楽しいの」とか言い始める。余計なお世話なのだ。あなたの基準からすれば快楽に達しないようなことでも、自分からすれば楽しい。それだけの話なのに「そんなものを見て楽しいなんて幸せですね」なんて皮肉めいた発言を平気でしやがる。自分にはこれが許せない。


快楽の数値が高い人。それは言ってみれば「快楽に贅沢な人」であると同時に、「快楽に対する燃費がすこぶる悪い人」でもある。自分のようにテレビ「ごとき」で楽しめる人間からすれば、そこまでしないと楽しくないという意味が分からない。


だが自分は「快楽に対する燃費が悪い人」をバカにすることはない。それはその人が持ちうる業のようなものであって、変えようと思って変わるようなものでもないし、それこそ他人にとやかく言われる筋合いはないからである。そして得てして快楽に対する燃費が悪い人のほうが、社会の構造として「リア充」とされることが多いからだ。快楽のために世の中の経済は動いているようなもんですし。仮に自分のような低燃費の人間だらけになったら、世の中の消費は瞬く間に滞るでしょう。


だから自分は言いたい。あなたもテレビを見て満足しろとは言わない。だけどテレビを見て満足している人間を見下すことなく放っておいてほしい。世の中の人が先週放送された「イロモネア」において、世界のナベアツが小学生演歌歌手さくらまやのモノマネをしていたことに自分は腹がよじれるほど笑い充分に快楽を感じたわけだけど、おそらく世間の人はこのモノマネを見たところで快楽が満たされないだろうし、そもそもこのモノマネが持つ危うい面白さにも気付かない。


世間の人から見たらさほど美味くもないしカロリーが満たされるわけでもないグロテスクな珍味を、自分のような人間は好んで食べているわけだ。あんたらも食べて美味しさに気付けとは言わない。けど食べて美味いと言って満足している人間に「そんなもの食べる必要あんの?」とは言わないでほしいというだけ。勝手に食って満足してるんだから放っておけ。それが自分にとっての「幸せ」ってやつなんだから。*1

*1:さしずめこのサイトは「こんな美味いグロテスクな珍味がありまっせ」と自分の好みに合わせて勝手に喧伝しているだけのもの。食べたくない人に無理に強要はしませんし、自分に合わないと思えば食べなければいいだけです。ただこれを見て少しでもテレビの珍味的な美味しさが分かち合えればいいな、と思ってはいますけどね。また、もちろんテレビには珍味ではないメジャーな美味しさもあるとは思います。現にそういうメジャーな美味しさを伝えようとしているサイトもたくさん存在しますけど、そこに自分はあまり面白みを感じないし、自分の書きたいことではないし、自分のやるべきことでもない。