撮りたきゃ撮ればいいけどさ

歌手のhitomiが自身のアルバムのジャケットに自身が妊娠していた頃に撮影した妊婦ヌードを採用したり、リア・ディゾン女性誌で妊婦ヌードを披露したりと、なんか妊婦ヌードが流行りつつあるんでしょうか。流行ってないとは思いますが「今妊婦ヌードがキテる」くらいのことをそのうちマスコミが言い出すのかもしれません。


妊婦でヌード(といっても乳首も股間も隠した状態なのでセミヌードが正しいんでしょうが)を撮影するということは、当然にお腹のなかに赤ちゃんがいるわけで、お腹が出っ張った状態なわけであります。これを「不恰好」とするか「神々しい」とするかは、これはもう主観なわけで、どっちの見方が正しいとは判断できないわけですが、単純に「妊婦のヌードはあまり見かけない」という意味で、自分なんかは面喰らってしまいます。子供もいないし。


妊婦姿でヌードを撮影することは、当然に「記録」という意味合いが強いのでしょう。現役妊婦の友人にお伺いを立てたところ、「子供に見せてあげたい」という気持ちなどから、オールヌードであるかどうかはともかく「記録として残しておきたい」という気持ちになるそうだ。少なくともエロ目的ではない。妊婦姿のヌードに欲情する人は一部の妊婦マニアを除いてはいないはずですから、どうしてもエロ目的ではなく「芸術」だとか「アート」だとか、そういう方向性で撮影されるものと考えていいでしょう。


しかし自分の場合、そもそも妊婦かどうかはともかく、「ヌードであること」はエロが目的であって然るべきと思っているので、そこに芸術だとか記録だとか言われてもピンと来ないのであります。だから妊婦ヌードと言われてもそこにエロを介在させる目的がない以上「はあ、そうですか」としか言いようがない。端的に言うと意味が分からない。だからといって「妊婦ヌードなんか撮るんじゃねえYO!」と言うつもりはない。撮りたい人は撮ればいいし、またそれを公開したい人はすればいいんじゃないかとは思う。それは個人の自由。


しかし、hitomiやらリア・ディゾンやらが妊婦ヌードを公開することについては「しょうもない」と思ってしまう。


前段で「妊婦ヌードを撮りたい人は撮ればいいじゃない」と前置きしました。これは「妊婦ヌード」という現象を一般論として捉えたときにはそういう気持ちであるというだけで、これがhitomiだとかリア・ディゾンであるとか「個別の芸能人」というフィルターがかけられると、途端に忌むべき存在になってしまうというだけの話。


こいつらのやってることなんざ、単にブリトニー・スピアーズをなぞっているだけでしかないという意味で「しょうもない」のです。もっと簡単に言えば「どうせブリトニー・スピアーズがやってなかったらそういう発想にはならないだろ」ということです。撮影もそうだが、それを公開するなんて発想は特に。


そもそも自分には「妊婦ヌード」という発想がありません。記録としてヌードを撮るという発想もないわけですが、それが妊婦になったときには尚更です。まあ男性だからそう思うのかもしれませんが、少なくとも折に触れヌードを撮影するという発想はない。ていうか、自分の知らないところで妊婦ヌードは市民権を得たものになっていれば別だが、大方の日本人にそういう発想は生まれてこないと思うのだけど。


ではなぜhitomiやリア・ディゾンが妊婦ヌードを撮影しよう、さらには公開しようという発想になったのか。それは考えるまでもなく、そういうことをやった人が先にいたから。誰かに、いやブリトニー・スピアーズという直近のファーストランナー*1に影響されたからであろう。まあリア・ディゾンは外人なので、もしかしたらそういう発想が日本人よりはあるのかもしれないけども。そこだけは分からない。


影響されることは必ずしも悪いことではないです。自分だって好きな人やモノから影響を受けています。しかし、ブリトニーが妊婦ヌードやったから自分たちも妊婦ヌードという発想は芸能人としてあまりに安直でしょうもないと思う。もしブリトニーが妊婦ヌードなんてことをやっていなかったら、hitomiやリア・ディゾンは確実に妊婦ヌードなんてやってなかっただろう。あくまでifなので実証は出来ないけども自信を持って断言出来る。そのくらいに安直なのだ。


そして彼女らが安直に妊婦ヌードに走るのに「それくらいしか話題作りできない」というさもしい理由が見え隠れするのがまたイヤだ。いくら表面上では「記念だ」「アートだ」と言い張ったところで、それを商売の道具に使っている以上はそういう理由があるのは明白なんだもの。結局は他人の発想に乗っかっているだけというしょうもなさ。


そしてさらに話を拡大させると、今日本で「妊婦ヌード」を撮影しようと思う女性の中には、確実にブリトニーの影響を受けて、もしくはブリトニーの影響を受けたhitomiやリア・ディゾンの影響を受けて「妊婦ヌード撮ろう」という発想になった人がいるだろう。安直という意味でのしょうもなさは同じですが、概して一般人が芸能人の影響を受けるもんですから仕方ないといえば仕方ない。影響を受ける段階で既に、hitomiやリア・ディゾンといったセカンドランナーたちが「オシャレ」だとか「芸術」だとかいう余計な要素を付与しているのも一因となっているんだろうし。


もちろん「影響のドミノ倒し」という意味ではセカンドランナーの芸能人も、さらにそれに追従する一般人(がいるとすれば)もしょうもないことに変わりはないのです。但し一方でセカンドランナーとなる日本の芸能人がいなければ、しょうもなさの伝播はなされなかったんじゃないだろうか、という意味でセカンドランナーとなっている芸能人の罪は重い。


「妊婦ヌードを撮影する」および「公開する」という行為そのものを非難するつもりはない。もちろん芸能人においても同じだ。前出の友人も「綺麗な妊婦ヌードならば公開したくなる気持ちも分かる」と言っているし、妊婦ヌードそのものが持つ美しさも否定はしない。しかしそのヌードの契機となる部分で色々と見え隠れする「しょうもない部分」ははっきりと「しょうもない」と言わざるを得ない。これらの議論をごちゃ混ぜにして「すべて妊婦ヌードは素晴らしい」みたいな空気になることだけは避けたい。

*1:掲示板・コメントでご指摘のように、本当のファーストランナー、パイオニアデミ・ムーアであります。でもhitomiが妊婦ヌードになったのは120%ブリトニー・スピアーズの影響だと思っているので(後述)、この連鎖の中という意味で「ファーストランナー」と書きました。ちと書き方が悪かったです。