ポリンキー

・トライアングル
なんというかまあ、連ドラでサスペンスをやると痛い目にあうという典型例を見た気がします。いかに故野沢尚の脚本がよく出来ていたかを思い知る次第。


最後まで見終わった今、「こんなしょっぱい話が小説原作の話なの?原作はそこまでクズなの?」と思ったのですが、よくよく調べてみるとあくまで新津きよみが書いた「トライアングル」が原作とされているだけで、ストーリーはドラマオリジナルのようだ。つまりは「原作の設定を借りた別の話」ってやつでしょう。以前日テレが真保裕一の小説「奇跡の人」をドラマ化したが、これが小説の初期設定を借りた全く別物の作品になったことがあったが、これと同じと考えればいいんだろう。


ともかく、「こんなのが小説原作なの?」と思えるほどストーリーは酷かった。多すぎる登場人物は疑わしい人物を増やすという効果もあったのだろうが、おそらくは「豪華なキャストにしたいから」くらいの話でしかないだろう。明らかに無理やり出番を作っている登場人物もいたことだし、もっと人物を絞ったほうがストーリーも分かりやすくドラマとしてもちゃんと見れたはず。


犯人の丸山(小日向文世)にしたって、本筋の25年前の事件の犯行はともかく、別荘の放火にはじまり志摩野(堺雅人)と葛城サチ(広末涼子)殺害も難なく実行してしまうこのあっけなさ。すごいですねー(棒読み)。特に志摩野に関しては上海まで行って殺しているわけで、飛行機の搭乗者名簿に名前が載っているのは単に「殺しに行ったから」とは鼻水が出る。裏の裏じゃなくて最初から表ってどういうことなんだ。


様々なアラを探すまでもなく一番引っかかっているのがタイトル。一体「トライアングル」に何の意味があったのか。最初から最後まで見たはずなのに、自分にはちっともタイトルの意味する示唆するところを理解出来なかった。ていうか、ドラマだけを見て理解出来た人がいるんだろうか?


これは推測だが、おそらく原作小説の「トライアングル」にはタイトルが示唆するものが含まれているのだろう。しかしこれをオリジナルストーリーでドラマ化するときに、タイトルの意味する要素を排除してしまったために、タイトルだけ残って意味は置き去りにされてしまったのではないだろうか。もしそうであるならば、脚本を書いた水橋文美江は責められて然るべきだと思うし(そうでなくてもこの脚本の酷さは責められるべきだけど)、原作に対しても非常に失礼だと思う。新津きよみはどう思ってるんだろう。*1


というわけで、期待値がそこそこ高かった割には終わってみればただのダメサスペンス。裏で放送していた「神の雫」に視聴率では勝ったものの、ドラマのクオリティという意味ではほぼ互角の勝負だったと思います。自分はどちらも支持しません。☆1つ半。

*1:自分がこの文章のタイトルを「ポリンキー」としたのは、「三角形(トライアングル)の(名前の)秘密を(ドラマから)教えてもらえなかったから」である。一応意味がある