Tバックの女王

Pさんよりこんなコメントを頂きました。

飯島愛さんのお別れ会に、出演AVなんて並べられていたら、それこそ死者への冒涜でしょう!
飯島さんの件に限らず、本人がカミングアウトしたからといって、それを免罪符にして、周りがいつまでもその事を持ち出してきていちいち言い立てるような行為は、品性下劣だと思えないのでしょうか。

結論から申せば、少なくとも飯島愛については思わないからそう言ってるんです。


別に会場でAVを大スクリーン大音量で流せと言ってるわけではないんです。それはさすがに品性下劣だと思いますけど、そうではなく「飯島愛の生前の記録」の一部としてAVのパッケージを並べることになんの問題があるのでしょうか?


彼女がAV女優だったことは紛れもない事実であり、そしてまた彼女はそのことを著書「プラトニックセックス」で語っております。いわば彼女の生き様を語るには欠かせない要素のひとつでしょう。中山秀征がはからずも「日本のモンロー」という言葉を用いたのは「飯島愛にセックスシンボルがあった」というAV出身が前提の話ではないのでしょうか。少なくとも彼女の頭の回転のよさを指している言葉ではない。いやこの発言自体にセンスは皆無だと思ってますけど、中山が飯島のAV出身の立場を決して否定的なニュアンスで捉えられていないことは注目すべき。


AV女優という仕事を高貴な仕事というつもりはないけども、かといって紹介することそのものが死者への冒涜だなんていう感覚もない。並べずにその事実を隠蔽することで「後ろ暗い過去」として追いやることのほうが「死者の過去の生き様を否定する冒涜行為」なのではないかと言っているのだ。積極的に知らせる(つまりは会場で大音量で流す)必要はないけども、生前の記録として紹介することの何が悪いんだろうと。報道の略歴でもAVのことは紹介されているわけで、会場の展示で触れないことのほうが不自然じゃないだろうか。


そして一般論に落とし込めば、何も「AV女優だった人物はみなAV女優であったことを指摘されても仕方ない」なんてことは思っておりません。隠したい人は隠せばいいし、その場合に周囲が暴き立てるようなマネをしてはいけないでしょう。しかしこの一般論は飯島愛については当てはまらないということは以上で述べたとおりです。


ま、飯島愛についてもPさんのコメントのほうが良識や常識に適っており、自分の言ってることのほうが非常識ということになるんでしょうが、どちらが正しいということではないのでこれでいいんです。無論自分は自分の意見のほうが正しいと思ってますけどね。