ケリー・チャンちゃん

金スマ」で飯島愛の追悼番組というかお別れ番組やってました。


正確に言えば飯島愛は「金スマ」の現レギュラーではないし、芸能界引退の際にはちゃんとした「お別れ特番」をやっているわけで、今回改めて「お別れ」というのも変な話ではあるのだが、まあ死んでしまっては仕方ないとでもいうのか。


飯島愛の死は自分にとっても少なからず衝撃的な報道ではあった。先日死因が肺炎と判明し、事件性はないと判断されたのがまだ救いだろう(但し事件性がないにも関わらず死後数日経ってから発見されたことが「救い」と言えるかどうかは分からない)。ただまあ自分からすれば飯島愛という女性は芸能界から引退した、即ちテレビの前から姿を消した時点でメタ的な感覚ではあるが「死んでいる」も同然だったりする。あまり理解されないけど。


ただそうとはいえ、感覚的に「死んでいる」のと実際に「死んでいる」のではやはり意味あいは大きく違う。だから今回の「金スマ」特番を見ようかどうか少し悩んだのだが、普段「金スマ」を見ていないし、よくよく考えたら引退時の特番も見ていないわけで、今更見たところで何がどうなるもんでもないと思ったので、ザッピングによるチラ見しかしなかった。


で、そのチラ見をしたときに気になったことがひとつ。番組中右上に出ているテロップに記された言葉である。


「さようなら飯島愛ちゃん」


これおかしくないですか?故人は小学生でもないわけで、当然のことながら「飯島愛さん」と表示するのが普通。ただ、飯島愛は生前「愛ちゃん」と呼ばれることが多かったために「飯島愛ちゃん」という表記にしたんだろう。けど、「愛ちゃん」と「飯島愛ちゃん」って似て非なるものだと思いませんか?


「愛ちゃん」という呼称は単に名前にちゃんをつけただけのもの。だから「飯島愛ちゃん」としてしまったわけだが、大きな誤解がある。あくまで呼び名は「愛ちゃん」であるけども、「飯島愛」と「愛ちゃん」は一緒のものではない。例えば谷亮子のニックネームは「ヤワラちゃん」である。自分は「ヤワラさん」と呼んでいるけども、一般的には「ヤワラちゃん」。ここで「ヤワラ」が谷亮子を指すのではなく、あくまで「ヤワラちゃん」までが谷亮子とイコールで結ばれるべきものである。「ヤワラ」と「ちゃん」は不可分だ。


だから当然に「愛ちゃん」においても、「愛」と「ちゃん」は不可分で、「愛ちゃん」という呼称ではじめて「飯島愛」とイコールで結ばれるものだ。なのに「飯島愛」という名前と「愛ちゃん」という呼称をひとまとめにして「飯島愛ちゃん」はやっぱりおかしいだろう。普段谷亮子のことを「ヤワラちゃん」と呼んでる人だって、「谷亮子ちゃん」とは言わない。それと同じことだ。


で、この変な表示を出演者は誰も不思議に思ってないのだろうかと思っていたら、やっぱり思っていたらしい。中居が飯島愛に向けてメッセージを送っているらしきところで呼びかけるときに「飯島愛さん、愛ちゃん」ってちゃんと言い直してたもの。中居にとっても「飯島愛ちゃん」はやはり座りが悪いものだったんだろう。


金スマ」という番組が飯島愛にただならぬ愛情を感じていた(そして飯島も番組に対して感じていた)のはよく分かる。だから親しみをこめて「飯島愛ちゃん」という表記をしたのも分からんではない。でも変。せめて中居が言い直す前に誰か気付くべきだった。