犯人インタビュー

千葉の幼女殺害事件の犯人は堂々とインタビューに答えていた。


今回の事件に限らず、こういう事件が起きたときに犯人が近所に住んでいた場合、マスコミのインタビューを「周囲の住民」として犯人が受けていることがままある。勿論マスコミは情報網から「こいつが怪しい」という人物にインタビューを試みている場合もあるし(今回なんかはインタビューの内容からも完全に決め打ちしていただろう)、たまたまインタビューしていた人物が犯人だったというケースもあるだろう。


犯人がインタビューで何食わぬ顔で「周囲でこんな事件が起きて驚いている」などと発言しているのを見て、視聴者は「自分が犯人のくせになんて野郎だ」と憤りを覚える。


このインタビューは「犯人の顔を押さえる」という意味合いも強いが、それ以上に「こんな事件を起こしたヤツだからこそ、マスコミのインタビューも平然とした顔で答えることが出来るのであってやはりマトモな神経ではない」という「犯人のちょっとした狂気」を演出するのにも一役買っている。


もちろん犯人を擁護する気はない。程度の差はあれど、一線を踏み越え凶悪な事件を起こす背景にはやはり何かしらの「狂気」が存在しているわけであり、そこの部分を否定するつもりもない。ただ、しかしである。では犯人はマスコミのインタビューをどのように受ければいいのか、とは思う。


「そんなこと考えてお前はやっぱり犯罪者になる予定があるのか」と言われそうであるが、そういうことではなく、単純に「犯人が一般人のフリをしてマスコミのインタビューを受ければ、やっぱりああいう態度になってしまうわな」という気がするし、どう転んでもマスコミの恰好の餌食になるという話。


そうそう単純なことではないだろうけども、一般人としてインタビューを受ける犯人の心情としては「ここで自分が不自然に怪しい態度をとれば犯人と感づかれてしまうかもしれない。あくまで自分は“いち近所の住人”というスタンスで極めて自然に振舞えばいい。だから下手にインタビューを拒否するのはおかしいから、堂々と話しておこう」という感じだろうか。


そりゃあからさまに動揺したりすれば犯人とバレる。これは当たり前。だから犯人たちは極めて自然に振舞おうとする。その結果が「犯人が堂々とインタビューに答える」という映像になる。つまりはマスコミのインタビューってのは犯人にとって「堂々と振舞うよりほかない」ものでしかない。選択肢が他にないんだもの必然的にああなる。素っ気無い態度をとれば「犯人という負い目からかマスコミを避ける犯人」になるんだろうか。


仮に自分が犯人だとしてインタビューを受ける立場になったとき、どんなふうに振舞うのが「正解」なのか自分には見当もつかない。これは犯罪者の狂気云々の問題ではなく、マスコミのある種の「悪意」に対して冷静だろうが狂気だろうが、対抗手段が存在しないのではないだろうか。もっと踏み込んで言えば、あの手のインタビューはどんな対応をしたところでも対象を「犯罪者」というラベルでもって意図的に貶めることが可能である。


「犯人はどこか頭がおかしいから、自分が行った犯行にも関わらず他人事のようにインタビューに答えることが出来る」と思えてしまうけども、果たして本当にそうだろうか?もしあなたが犯罪者だとして同じ立場になったとき、あなたはいまテレビの前で「頭のおかしい犯罪者」として蔑視している彼らと同じような行動を取ってしまうのではないか?


もう一度言うが、犯人の狂気は否定しない。けど「テレビカメラの前で堂々とインタビューに答えることが出来るほどの鬼畜」ってのは実は成り立たない気がする。鬼畜であろうとなかろうと、犯人の立場では「ああするより他ない」のだから。


ことさら犯人の狂気を際立たせるような報道をしたがるのは、犯人を特殊扱いすることで自称「普通」の自分たちを安心させたいという構図の為せる業なのかもしれない。