KAT-TUNの弱体化

カートゥンKAT-TUN」(現在は「cartoon KAT-TUN」らしい)にケンドーコバヤシが出ていた。


ピースの綾部を塾生として引きつれ、「魁!男塾」の江田島平八をモデルにした「小林平八」なる人物として登場。KAT-TUNの上田・赤西・亀梨に男気を説くというコントを延々と繰り広げる。最初から最後までケンコバワールド。残りの3人には越中詩郎だった。


はっきり言ってKAT-TUNのことが好きでこの番組を見ているファンは、ケンコバはどうでもよく、KAT-TUNだけが見たいわけで、ケンコバが意味不明のコントを繰り広げているのなんか見たくないんだろうとは思う。しかも男塾のパロディなんて一ミリも分からんだろうに。辞書早引きなんてことをやっていたが、もし仮に「この辞書の出版元は民明書房だ」なんてボケても、テレビの前でポカーンだろう。


自分が前にこの番組を見たのはMJが田中聖に自分の趣味を披露していたとき。地味にMJは女性ファンが多く(これは実際にMJのイベントやスライドショーに行けば分かる)、まあKAT-TUNのファンと被っていても不思議じゃないなかなとは思った。


しかし今回のケンコバは女性ファンこそいるのかもしれんが圧倒的に男ウケする人物であり(マツコデラックス曰く「オカマのセックスシンボル」らしい)、そこで披露されたネタも完全に男向けのネタ。KAT-TUNのファンである女性がとりつく島などない。


ケンコバKAT-TUNの前でネタを披露するのは別にいい。ただ、明らかにKAT-TUNのファンばかりが見ている番組においてKAT-TUNのファンが付いていけないようなことをする必要はないように思える。一体誰に向けて番組を作っているんだ?と言いたくなる。


持論として、この「カートゥンKAT-TUN」のような「ファンしか見ないような番組」においては、一般受けする必要は全くなくファンのみが楽しめればいいと思っている。自分のようなKAT-TUNファンじゃない人間は楽しめる必要がなくてもいい。裏を返せば、ファン以外が見て「つまらん」という批判を述べるのはお門違いであるということ。


もちろん一般視聴者を意識するのは「メジャーなものづくり」という意味で大事ではある。しかしこの手の番組なのに妙に一般視聴者を意識して、ファンが楽しめない番組になってしまうのはNGだ。これでは一体誰に向けて発信しているのかさっぱり分からなくなる。


以前はこの番組だってちゃんと「ファンが楽しめる番組」を意識して、自分が見ても全く楽しめない番組(褒め言葉)に仕上がっていた。しかし今となってはあまりそういう感じは見受けられない。誰が見てもあまり薬にも毒にもならん感じ。それともファンはあんな番組ですら見てて楽しいのだろうか?


ファンだけが楽しめる番組というのは、そのファンの力が強くてこそ成立する番組。この番組が始まったのは2007年の4月。まだまだ勢いのあった頃だ。しかし今や廃れたとまではいかないが一時期の勢いはない。ファンへ向けてだけの番組が成立しない時期に来ているということなのかもしれない。


前にも書いたと思うが、自分は女友達にギリギリでいつも生きていた頃の彼らを指して「KAT-TUNは未来のSMAPとなるよ」と言われたことがある。その頃から「んなわけねえだろ」と思っていた自分としては、今のKAT-TUN人気の落ち着きっぷりに安堵を隠さずにはいられない。