義憤で人は殺せない

元厚生省の事務次官が殺された事件で、22日の夜に犯人が出頭して逮捕された。


当初は連続して厚生省の元事務次官が狙われたので「テロか?」と言われたが、自首した犯人の供述によれば「ペットを殺されたことによる恨み」として、年金がらみのテロでは全くないらしい。まだはっきりしない部分も多いのでこれをもって「テロではなかった」と言うのは早計ではあり、また後付の理屈と言われるかもしれないが敢えて言わせてもらえば「テロじゃない私怨という動機のほうがしっくり来る」ということ。


日本人に義憤で人は殺せないと思うんです。おおよそ私怨のほうが人は殺しやすい。


もちろん程度の問題はあるが、他人から見ればどんな些細なものに見えても個人にとっては大問題である。だから今回犯人が「自分のペットが殺された」という私怨のほうが、「今の年金制度を作った官僚が許せなかった」という理由よりもはるかに理解がしやすい。


誤解なきように言っておけば、別に自分が犯人の肩を持つ気があるわけでもなく、また感情移入をしているわけではない。保健所は厚生省の管轄であるとはいえ、自分のペットの問題を厚生省のトップに結びつけるその思考回路はクレイジーであるとしか言えない。しかし思考の道筋はともかく、犯行の動機となる発端の「私怨」は、「いかれた年金制度を作った官僚が許せない」という義憤に近いものよりは納得出来るとでも言うんだろうか。


お国柄という言い方も出来るだろうが、「絶対的な神」という存在がないため、たとえそれが義憤から端を発する話でも殺人という過激な方向に日本人は話が進まない。一方で私怨を振り翳すことが絶対神に悖るということがないため、その行動に歯止めがかからない場合も多いのではないだろうか。まあ自分の勝手な推測だけども。


不謹慎な言い方ではあるが、もしこの事件の犯人が年金問題による義憤(年金制度に不満があった、という程度にしても)によるテロだった場合、犯人は一体どのような人物なのだろうと興味深くは思っていた。しかし犯人の供述にウソがなく、単に「ペットを殺された」といういちゃもんのような私怨が動機であるなら、いかに思考の筋道がメチャクチャであっても自分の理解の範疇であり、特に興味はない。


またどうせマスコミは「心の闇」って言い出すんだろうな。思考回路が他人より突飛なだけで、心の闇なんてないと思うし、あったところでそれを我々はどう次に生かせというのか。