小泉今日子は100ガール

いま嫌いな言葉「ガールズトーク」。

柳原可奈子のネタでOLの昼食中のネタがありまして、その中に「ガールズトーク」という単語が出てくるんです。「OLなのにどこがガールなんじゃ」と思ったのだけど、よくよく考えたらこの言葉、こんなツッコミが野暮なほどかなり氾濫している。「グータンヌーボ」がこの言葉を広めるのに一役買ってるんじゃなかろうか。最近見てないけど、毎回女3人集まって話してるから、あれって「ガールズトーク」なんでしょ?


「ガールズトーク」という言葉の許容範囲は異常に広い。下はおそらく中学生から上は30代のOLまで、ほぼ「女性同士の(あけすけな)会話」という意味で用いられる。男同士の会話を「ボーイズトーク」などと形容されることは聞いたことがなく、女性同士の会話にのみなぜか用いられる。


「ガール」という単語、即ち「girl」の意味を受験生時代から愛用しているジーニアス英和辞典第2版で調べてみると「女の子、少女;未婚の女(通例9- 12歳まで、大きくても15歳以下の女の子をさして用いる)」とある。但し略式的には広く一般に「女性」を指す言葉でも使われるので、柳原のネタのようにOLが使ったとしても用法としては決して間違いではない。


そもそも「ガールズトーク」だなんて言葉を誰が使い始めたか知らんが(おそらくはどこぞの女性誌やフリーペーパーあたりが思いついた言葉だとは思うけど)、自分にとって「ガール」が少女であろうが女性一般であろうが関係ない。どっちにせよこの「ガールズトーク」という言葉には、そしてこの言葉を使いたがる女性の心情の根底に、自分は「冗談顔だけにしろよ」とアーノルド坊やばりに言いたくなる驕りがあるような気がするのだ。以下説明。


なぜ女性同士の会話をわざわざ「ガールズトーク」と呼ばねばならないのか。そんなに女性同士の会話は「特殊」なのだろうか?いいや、そんなことはない。女性同士の会話があるのと同様に、いやそれ以上に「男性同士の会話」はそこらじゅうに溢れている。モテない女性よりもモテない男性のほうが群れるわけで、そんな奴らは年がら年中「男性同士の会話」を繰り広げている。むしろ異性との会話なんか存在しないからわざわざ区別する必要もないくらいだ。


ここにひとつの傲慢が見えて取れる。「ガールズトーク」という言葉は、異性と同性との会話を峻別しているところに端を発する。つまり、「異性と同性との会話が峻別されているのが当たり前」という前提において作られた言葉であるということ。無論職場では男女が混在して会話がなされるわけだから、会話の種類は峻別されて当たり前ではある。但し働いている女性は年齢からして既に本来の意味の「ガール」ではない。


それでは逆に本来的に「ガール」と呼ばれる世代、つまり中高生は同性と異性の会話を峻別するのだろうか。これはもうはっきりしている。前述のように、モテない男性及び女性は異性と話す機会がそもそも殆どないので、峻別するまでもない。となれば、「ガールズトーク」という言葉においてトークの種類を峻別しなければならない層、それは「モテる人間」である。つまりは「ガールズトーク」という言葉は、そもそも「同性と異性によって喋る内容を峻別するのが当たり前のモテ人間」であることを前提にしている言葉なのだ。


ガールズトークをする、それはつまり「異性には話しづらいことでも同性同士なら気兼ねなく喋ることが出来る」ということである。そもそも異性に話す機会がない人間が発想する言葉ではない。自分はひとまずこの「最初からモテ側に立っている言葉」という部分に、非モテとして嫌悪感を抱かずにはいられない。同級生で「ガールズトーク」なんて言葉を平気で使っている女がいたら、おおよそ10代童貞には手が出ない物件であることを覚えておいてほしい。誰に向かっての忠告かは分からんが。


では、職場などで男女混在が当たり前であり、女性同士の気兼ねない会話をする大人が用いる「ガールズトーク」はどうだろうかと問われれば、やっぱりこれも嫌いだ。なぜか。


男性女性に限らず、大人が同性同士でする会話なんてのは「仕事(と付随する人間関係)」と「下ネタ」の二択でしかありません。断言します。女性の場合はせいぜいここに「化粧品・ブランド品」あるいは「美容」の話が加わるくらいでしょうか。恋愛話、いわゆる「恋バナ」(という言い回しも死にたくなるんだが)も延長線上には必ずセックスがつきまとうわけで、詰まるところは「下ネタ」でしかありません。中学生同士の「ガールズトーク」ならまだ純粋な「恋バナ」で済む可能性もあるでしょうが(それでもやっぱり下ネタにはなると思ってるけど)、20代を過ぎていて純粋に恋の話だけで終わるわけがありません。そっちのほうがどうかしてる。10代童貞は覚えておくがいい。て、やっぱり誰に忠告してるんだろう。10年前の自分にか?


別に化粧品の話は最初から「化粧品の話」でいい。言い換える必要もない。ではなぜ「ガールズトーク」なんて言葉が出てくるのか。面倒?それもあるかもしれない。でも自分は「ガールズトーク」という言葉の「女性同士の会話」というニュアンスだけで、そこに含まれる汚い部分を意図的に誤魔化しているからじゃないかと思う。


つまり、大人の女性が使う「ガールズトーク」というのは、女性同士集まった時「化粧品」「ブランド品」の話のほかに含まれる「仕事及び人間関係の愚痴」「下品さも厭わない女同士の下ネタ」の言い換えに過ぎないわけです。「売春」を「援助交際」と言い換えるのと同じごとく、やつらは唾棄すべき愚痴とただの下ネタを「ガールズトーク」といういかにもな言葉で誤魔化しているに過ぎないのですな。もちろん愚痴も下ネタも悪いと言ってるのではない。悪いのはそのようなものを「ガールズトーク」という、曖昧でぼかした、そしていかにもオシャレそうな表現でもって本質を誤魔化そうとする態度である。下ネタを話すのに本来下ネタとは縁遠いところにある「ガール」を名乗るのは卑怯もいいところです。そんなやつはガールにあらず!


「ガールズトーク」という表現は、そもそもが「モテ」の立場の発想から生まれた言葉であり、しかも「ガール」という言葉を用いているのにガールとは程遠い中身であり、かつその言葉によって中身の酷さを誤魔化そうとする“女の醜さ”の数え役満のようなものであるわけです。どんなに好きな女性であっても、こんな言葉を使われた日には自分はがっかりせざるを得ない。


冒頭に話を戻すと、「グータンヌーボ」って詰まるところそういう下世話なものをオシャレという虚像で包んだ番組なんだよな。長々と書いてきたけども最終的に自分が言いたかったのはこういうことですよ。今までは漠然と感じてきたが、今回文章に書いてみて改めてそう思った。「あいのり」や「グータンヌーボ」を見ている人間なんかと話が合うわけがない。生きてる次元が違う。