Re:


笑っていいとも!」を見ていたら、福田沙紀が出演していました。映画「櫻の園」の宣伝。


番組最後に宣伝告知をするのが「いいとも」では恒例行事。この日も例に漏れず時間ギリギリではあるが福田が映画の宣伝。そこで気になることを言っていた。「リメイクではなくリイメージです」。ん?と思った。


今回の映画「櫻の園」はリメイクだという認識が自分の中にあった。そもそもは吉田秋生のマンガではあるが、これが中原俊の手によって映画化されたのは 1990年の話。かつて自分が中学生の頃深夜にこの映画が放送されていたことがあって、「櫻の園」というタイトルに加え女子高が舞台の話であるから「これはちょいエロ映画に間違いない!」との確信のもと夜遅くまで起きて見ていたら、ちっともエロがなくてがっかりしたことを覚えている。おかげでどんな話だったかなんてまるで覚えていない。


そんな個人的に苦い思い出のある映画が今回また同じ中原俊の手によって映画化される。この事象だけを耳にすれば誰もが「リメイクだ」と思うだろう。しかし福田沙紀ははっきりと「リイメージである」と言った。リメイクを否定しつつその言葉に代わるリイメージなる耳慣れぬ言葉。一体なんだろう。


「リ(re)」という接頭辞は「ふたたび・繰り返す」という意味があるので、「リイメージ(re-image)」となれば、再び想像するとでもいうことだろうか。まあ正しい訳はどうでもいいのだが、言いたいことは分かる。ただ、その「リイメージ」ってのが「リメイク」とどう違うのかがよく分からん。公式にはこの「リイメージ」という言葉についてどのような解釈をしているのか気になったので、映画の公式サイトを覗いて「リイメージ」なる文言を探したのだが出てこない。但し公式ではないとはいえwikipediaの記述にははっきりと「リイメージ」という言葉が出てくるので、使われているのは間違いない。仕方ないのでおそらくこれが「リイメージ」なんだろうという部分を抜粋して引用。

あれから18年。本年、福田沙紀という逸材を得たことから、再び中原俊監督が新しいキャラクターを作り出すことで「今の時代だからこその“櫻の園”」を製作することを決意。そして、全く新しい「櫻の園」を作り上げました。


これを読むに、原作と監督こそ90年版のものと同じではあるが、今の時代に即した全く新しい作品になっているから「リイメージ」だと説明しているように思える。しかしこれって、別に「リメイク」という言葉の範疇に含まれるんじゃないかと思うんだけども。わざわざ「リイメージ」などと耳慣れぬ言葉を使うまでもない気がする。


そりゃ90年(あるいはマンガ原作発表の85年)と2008年では時代背景も観客の感覚も違うわけで、「櫻の園」に限らず「リメイク」と呼ばれる作品には大きくその設定を変える作品も少なくない。忠実に元の作品をなぞる作品だけを「リメイク」と呼ぶわけではないだろう。言うなればその作品の「核」となる部分を抜かなければ、いくら監督が違おうとも作品タイトルが違おうとも「リメイク」と呼ばれる代物になる。もっともタイトルや背景が同じでも、その作品の核を見失った全く別の作品に成り下がったとしても「リメイク」と呼ばれる作品は存在するだろうが。


上記の引用文を読む限りでは、新しいキャラクターを作り出し現代風になっているとはいえ、以前の作品のなんたるかを知っている監督が同じでストーリーもそう大きく違わず、「櫻の園」というタイトルの作品である以上は「リメイク」なのでは、と素直に思う。「リイメージ」なんて単なる言葉遊びだろう。じゃあなんで「リイメージ」なんてしち面倒くさい言葉を使ったのだろうか。


ここ数年はドラマにしろ映画にしろリメイク作品が非常に多い。ドラマや映画の供給過多による良質な原作の供給不足であると言わざるを得ないが、過去の名作であれば名前も知れており話題性もあるからスポンサーがつきやすいし観客の動員もしやすいというメリットもあるのだろう。その一方でリメイクには「過去の名作の足元にも及ばない」という批判をかわすための高い水準での評価が求められる。いいことばかりではない。


「リメイク」と言ってしまえば元作品のファンからは少なからず「がっかり」という評価を受ける。よほどのことがない限り、前の作品を超えられないのはリメイク作品の常だ。だから「リメイク」という言葉を使うことで不当に評価が下がるのを避けたいという気持ちがあるのも理解出来ないわけではない。しかしかといって今回の「櫻の園」が自称がどうあれ「リメイク」であることは否定のしようがないわけで、わざわざ「リイメージ」なんて言葉を使うほうが「リメイクである」という評価を意図的に避けているのがバレバレであり、逆に観客に余計に意識させてしまわないだろうか。


小手先の言葉のごまかしで評価がどうにかなるなら皆そうする。けどそうじゃない。だったら真正面から堂々と「リメイク」でいいんじゃないのか。それとも今回の映画の出来に自信がないから「リイメージ」なんて言葉で誤魔化そうとしているのか。自分には判然としない。もっともこの映画を見る気はないし、そもそも90年版の映画の出来を覚えちゃいないのだから見たところで比較は出来ないのだから、この「リイメージ」という言葉の真意がどこにあるのか自分は最初から知る由はないのではあるが。


往々にしてこの手の「言い換え」ってのは自己満足が多い。沢尻エリカが歌うときは「ERIKA」と名乗るように、サンプラザ中野が文化人であるときは「サンプラザ・ホメオパス・中野」と名乗るように、本人たちはそれで満足なのかもしれないが、傍から見ているぶんには「どうでもいい」の一言で片付く。誰しもが経験するこの「意味のないこだわり」、他人については指摘できるのに、いざ自分のこととなると指摘出来なくなるのは何故だ。不思議でならない。


かくいう自分も自分の気付かないところで変なこだわりを指摘されているんだろう、とは思う。所詮はそういうもんです。