フローレンス

ヤワラさん銅メダル。


北京五輪初日からヤワラさんが出場し、日本では大会初の金メダルがヤワラさんの手によって獲得できるだろうという期待が高かった。しかしヤワラさんは準決勝で敗退し、3位決定戦で勝って銅メダルという結果に終わった。


普通に考えればオリンピックで銅メダルを取るのは凄いことであり、しかもヤワラさんの場合はオリンピック5大会連続メダル(銀銀金金銅の3種類制覇)という前人未到の記録であるから、これはもうどう考えたって「凄い」の一言である。16年もの間世界の一線級で活躍出来るスポーツ選手というだけでも充分に凄い。


しかしヤワラさんの場合はあまりに凄すぎたのと、見ているほうの期待も高かっただけに「しょんぼり」という気分があるのはこれ仕方ない。何より一番しょんぼりしているのはヤワラさん本人であり(準決勝の残り30秒でヤワラさんだけ反則を食らったときの表情ときたらない)、そのハードルを無限に上げ続けてきたのが当のヤワラさん本人だったのだから尚更。

  • 「最低でも金、最高でも金」(シドニー
  • 「田村でも金、谷でも金」(アテネ
  • 「田村でも金、谷でも金、ママでも金」(北京)


ヤワラさんの「金」シリーズの発端となったのはシドニーの名言「最低でも金、最高でも金」だった。過去2大会ともに銀メダルで終わった悔しさを滲ませ、シドニーでは何が何でも金を取るという決意の表れを見事に表現し、そして実際に金を取った。文句なしの名言である。


そして4年後のアテネ、ヤワラさんは4年前の発言と自身の結婚を掛けて「田村でも金、谷でも金」という発言をした。ここから何やらヤワラさんが意識的に「名言出しますよ」という空気をまとってきたのである。元々小さい頃からマスコミに注目され、マスコミの転がし方を充分に心得ているヤワラさんならではの自意識だ。そしてここでも金を取ってしまう。これがいけなかった。


「ママでも金」発言は北京前に発言したものではなく、ヤワラさんの妊娠が発覚したときに本人によってなされたものである。ヤワラさんの妊娠は3年前であり、その時から既に北京で金を狙うという不遜とも取れる発言をしていたのだ。そもそも出産を経て復帰し五輪代表に選ばれるかも分からん3年前の時点でこんな発言をすると「調子に乗るな」と言われるのが関の山であるが、過去2度に渡って有言実行を果たしたことがその批判をシャットアウトした。


この件に関し、自分は3年前に「ヤワラさんはどの程度まで自分の不遜な発言が出来るかチキンレースをしているのだ」と書いた。世間がヤワラさんの発言に突っ込めば負け。しかしヤワラさんは表立って批判されることもなく実際に北京まで出場してしまった。しかし金を取ることは出来なかった。いよいよここが「ツッコミ時」が来たのだ。


間違ってはいけないのが「ヤワラさんが金ではなく銅しか取れなかったこと」をとやかく言うのではなく、ヤワラさんが今後名言を自ら作ろうという動きがあったときに真正面から「もういいよ!」と突っ込む時が来たということだ。本当はもっと早く突っ込んでおくべきだったのだ。日本選手権で優勝できなかったときもチャンスだったし、息子の名前が両親から一文字づつ取って佳亮(よしあき)くんだったときもそうだ(あ、本当は関係ないけど)。


ヤワラさんも本当は早く突っ込んでほしかったはずだ。ビッグマウス紙一重の名言チキンレースは自身を過剰に追い込む役割を果たしたのだろうが、それと同時にヤワラさんの過剰な陶酔に国民が付き合わされる(但しヤワラさんからすれば「国民(つうかマスコミ)がヤワラさんの名言を望んでいる」という認識のズレがある)という役割も果たした。もうそろそろヤワラさんを楽にしてあげて、そして我々も楽になるべきである。


現役続行については明言を避けているヤワラさんであるが、おそらくは今大会を最後に引退するであろう。だからもう名言作出の機会は殆どないように思うが(あるとすれば引退会見での一発)、もしもの時に備えて、そしてヤワラさんを労うためにも最後に一言かましておこう。


「お疲れさまでした!もういいよ!」



それより野球日本代表がセリーグ選抜にフルボッコにされたほうが気になるんですけど。