そんな理屈はないだろう

古畑中学生」って喜んでいるのは山田涼介のファンだけじゃないんだろうか。


田村正和主演のドラマ「古畑任三郎」は脚本家三谷幸喜の代表作のひとつである。2006年の「ファイナル」をもって作品は完結したわけだが、ここにきて唐突に古畑の中学生時代を描こうという話。古畑ファンである自分は、はっきり言って面食らった。というより、自分以外の古畑ファンの方々だってこの話を聞いて手放しで喜んでいる人は本当にいるんだろうかとすら思える。何一つ嬉しい要素がない。


サンスポの記事を読めば、元々三谷幸喜には古畑のバックボーンを描こうという構想はあったらしいが、山田涼介を見て若かりし田村正和に似ていたことから「いましたよ。中学生時代の古畑が!」という電話がプロデューサー石原隆のもとに入って一気に話が進んだらしい。なんだか取ってつけたような苦しい理由だなあ、と。


そもそも、「田村正和が演じない古畑任三郎(と呼ばれる作品)が面白いのか?」という疑問があり、さらには「古畑の中学生時代を描いたから、それが面白いのか?」と思うし、最終的に「なんで今更そんなこと考えるわけ?」とすら思う。古畑復活待望論が未だにないわけではないのだろうが、だからといって田村正和が演じるわけでもない中学生編を望んでいるわけじゃあないだろう。「古畑」であればいいってもんじゃない。


記事で触れられているストーリーを読んでも、犯人と古畑が対決するいわゆる「倒叙モノ」ではないようだし、古畑である必要性が「古畑の中学生時代が描きたい」という理由でしかないのである。もちろんそれがメインと言うのだろうが、それ以上に必要性のなさとともに政治的な匂いを感じてしまうのはいくら「そんなことはない」と言っても信用出来ない。どうにも制作の意図に説得力に欠けるわけだ。


「山田涼介」で「探偵」といえば、ドラマにちょっと詳しい人であればすぐさま「探偵学園Q」のことを思い出すだろう。山田はクールな美少年リュウを演じていたわけだが、クールなんだか棒読みなんだかよく分からん演技だったという自分の中での記憶。決して演技が上手いわけでもないし、はたまた田村正和演じる古畑任三郎のような飄々とした雰囲気を持っているわけではない。


選ばれた理由が本当に「単に似ている」だとしたら、自分はちょっと三谷幸喜の神経を疑わざるを得ない。似てりゃいいのか。そんな理屈はないだろう。そもそも古畑の中学生時代を描くのであれば、それこそ「田村正和が中学生にならないとダメ」くらいの気合でもってあの雰囲気に相応しい芸達者な中学生を血眼になってオーディションしなければならないだろう。そんな中で見つけたのであればまだ「だったら期待出来る」くらいのことは言いたくもなるが、テレビで見かけて「ちょっと昔の田村正和っぽい」という理由だけで選ばれたのなら、馬鹿馬鹿しいにも程がある。そして山田涼介ファンには申し訳ないが、山田に古畑ファンの期待を一身に背負い、受け止めることが出来るほどの才覚があるとは自分には思えない。


もっとも山田にしてみれば「選ばれたのだから精一杯やるだけ」であり、彼がやりたいと言い出したわけではないのだから責めるのはお門違いだろう。まあ事務所が強烈に企画をプッシュしたという可能性は否定出来ないんだけど。しかしやっぱり自分は今更「古畑の中学生時代を描く」という誰のニーズに応えているんだか分からない脚本を書いてしまった三谷幸喜を今回ばかりは擁護することはできない。実際のところは数字の取れるドラマを作りたいフジテレビの思惑と、売出し中のタレントを使って欲しいというジャニーズの思惑が交差してこういうことになってるんだろうが、それでも三谷が首を縦に振り脚本を書かないことにはこういうことにはならないんだもの。


まだいつ放送されるのかは分からないけども、放送が終わったときに「これは無かったことに」と言われないような作品になることを願うことしか出来ない。三谷幸喜にはこんなしょっぱいことやってないで、そろそろ連ドラで新しいドラマをやってほしいです。