「何を」ではなく「誰が」

いま「やずや発芽十六雑穀」のCMが大量に流れてませんか。おそらく北海道だけじゃないと思います。


料理研究家の人が「おにぎりにするといいのよ」と言うバージョンなど、様々なものが流れていますが、気になるのはメジャーリーガー田口壮が登場するバージョン。自宅らしきリビングで田口が発芽十六雑穀の良さを語っている。あれって本当の自宅かどうか分からないけども、何かしらアメリカの住宅っぽいリビングで語る田口は「いかにも」な空気を醸し出して「海外に居ても簡単に作ることが出来るし、健康にもいい」などという内容を話すのだ。


やずやのCMってちょっと癪に障る感じがする。特に最近では「ヨーグルト、いいえ、ケフィアです」は近年稀に見る「イラッ」を発してくれた。CMとしてはイラッでも印象に残れば勝ちともいえるわけで、完全にその策略にはまってしまったことのほうが癪に障ったりする。「我々は本当にいい商品を薦めているんですよ」という妙に押し付けがましい感じがある。


前述の「おにぎりにすればいいのよ」も軽くイラっとするのだが、田口の場合はあまりそういう印象はない。何でだろう、と考えると、田口は過去に通販の商品「トゥルースリーパー」(低反発マット)のCMにも同じような形で出演していたわけで、その深夜の通販のCMに共通する「ちょっと胡散臭い感」がやずやのCMの押し付けがましさを「深夜の通販番組のアホっぽさ」にまでレベルを落としてくれる気がするからだ。「落として」と書いたが別にやずやが偉くて深夜の通販が偉くないわけではない。単にやずやのほうが「偉ぶっている」からそういう表現になったまで。


そんな田口がやたら褒めちぎる発芽十六雑穀。メジャー移籍当初は苦戦したものの、2006年のワールドシリーズ制覇のときにフィールドに立っていた初の日本人選手になったことを考えればその実績は申し分ない。そんな田口が褒める発芽十六雑穀ならば、「メジャーで活躍している選手が薦めるということは、やっぱり健康にいいのかなあ」と多少は思わせてくれる。やはりメジャーで活躍する選手は食事から気を使ってはじめて一流の選手として活躍出来るんだろうなあ、と。実績があれば説得力が出る。もっとも「トゥルースリーパー」の胡散臭さと同レベルの「いいのかなあ」でしかないけども。


たとえばこれが昨年全くメジャーでは活躍できなかった井川が「発芽十六雑穀、物凄い良いんですよ」と言ってもあまり説得力がないだろう。昨年は活躍出来なかったが井川だって実績のあるピッチャーには変わりないわけで、その井川が発芽十六雑穀についてPRしたって本来ならば田口と遜色のない効果があるはずだ。しかし昨年活躍出来なかったという事実が、井川のPR力をかなり弱めてしまう。プロスポーツ選手は実績があって初めて商品価値に説得力が出る。


もし田口が発芽十六雑穀ではなくなんか怪しげな栄養食品の宣伝をしても、おそらく発芽十六雑穀を宣伝する井川より説得力があるような気がする。商品としては発芽十六雑穀のほうがはるかに素晴らしい商品だったとしても、商品を宣伝する人間の実績がその商品にまで価値をトレースしてしまうのだ。


これはつまり、プロスポーツ選手のCMにおいては「何を」宣伝するかではなく「誰が」宣伝するかが問題なのだ。芸能人の人気とはまた別の、もっと判然とした「実績」の評価が伴うもののように思う。


そんなことを考えつつあのCMを見ていたのだけども、先日放送された「プロフェッショナル」のイチローインタビューにおいて、イチローが食べ物について「好きなものを好きなだけ食べてます」と答えていた。これを見て「あ、田口の言ってることあんま関係ねえのか」とあっさりと判断を変えてしまった。


もちろんCMだから商品のことを褒めるのは当然なんだけども、田口のCMの口ぶりからすれば「スポーツ選手として健康管理に気を使う。だからやずやの雑穀はいい」という感じ。しかしイチローは「食事に関しては一切気にしていない」と発言。そういや正月に放送されたスペシャルでも昼飯は必ずカレー食べていたし、栄養管理に気を使っている様子は一切見られなかった。田口のCMでは「雑穀カレーがオススメ」なんてやっていたが、イチローのカレーは普通の白米だったし。


田口も凄い選手ではあるが、イチローはそれに輪をかけて凄い選手である。そのイチローが「食事は好きなものを食べている」と言ってるならば、じゃあ田口のこだわりは何なのだろうとやっぱり思ってしまうわな。もちろんイチローが超一流だから食事を気にするまでも無いということではあると思うのだが、超一流がそういうことを言ってしまうとやっぱり「食事は関係ないんだなあ」と思えてしまうから怖い。


しかしここで考えを反転させてみる。仮にイチローが「やずやの雑穀最高」と発言し、田口が「食事は気にしない」と発言したならば、おそらく自分は「田口は食事のことを考えないからイチローのようになれないのではないだろうか」と思ってしまうだろう。イチローがこだわっているのに田口はこだわらないからこそ差が出るのでは、と考えてしまう。


これってやっぱり「何を」主張しているかではなく「誰が」主張しているか、が問題なのだ。イチローの「食事に気を使わない」という発言内容が重要なのではなく、「イチロー」が言ったことが重要なのだろう。発言内容が変わってもイチローという発言主体が変わらなければその内容の価値は変わらない。


もちろんイチローの発言全てになびくわけではない。例えばイチローが「倖田來未のスッピン全然OK」と発言しても自分は「何言ってるんだあの角刈り」と一笑に付す。それはイチローよりも自分のほうが確実に倖田來未を観察している自負があるからだ。倖田來未に関してはイチローは素人だもの。かといって自分が倖田來未の玄人ではないけども、少なくともイチローよりは倖田來未についてあれこれ言える。


ただ、食事というプロスポーツ選手に密接に関わっている分野での発言はやはり傾聴してしまう。一流選手の田口が「食事には気を使う」と発言するよりも、超一流のイチローが「食事は気にしない」と発言するほうが「なるほど」と思わせてしまう。本来は食事を気にする田口が正しいのだろうが、「何を」ではなく「誰が」が優先されるプロスポーツ選手においては、イチローが正しいように思えてしまうのはやっぱりある種の魔法なんだろうなあ。


と同時に「実績のある選手の発言は絶対」が、プロスポーツの指導において弊害を生んでいるだろうことは容易に想像がつくが、実績に勝る説得力を生むのは並大抵のことではないのだろう。やずやのCMから随分と話が大きくなってしまったが、結局言いたいのは「やずやのCM、軽く癪に障る」であることを最後にもう一度確認しておく。