もう言わないんだ

高校生クイズ2022」録画確認。

 

今年から「地区予選」という概念がなくなり、そして何より長年冠スポンサーを務めていたライオンが撤退した。この時点で「もう高校生クイズじゃないよな」感はあったけども、そこに拍車をかけてまた「知の甲子園」的な暗黒時代に逆戻ったことで「これの何が楽しいの?」と番組を見ながら終始思っていた。何度も書いているが、これなら「東大王」でいいのよ。高校生クイズという名前でやる価値がない。もはやクイズ研究会を擁する高校のためのだけの催しだ。

 

これも何度も書いているが、そういう大会はあってもいいし、あるべきなのだ。自分は競技クイズを決して否定しているわけではない。しかし「高校生クイズ」と名乗る価値があるものは、競技クイズにはない特別なものじゃなかったのか。クイズが強いだけでは勝てない、そしてクイズも強くなければ勝てない、何より青春を、高校生の生きざまを見せつけなければ勝てない尊さがあるからこその「高校生クイズ」という勲章だったのだ。今回のはただの「競技クイズ大会」だ。「高校生クイズ」の看板を背負うほどのものではない。それは勝手にやってくれればいい。

 

もうかつてのような大会には戻れない。それはよくわかる。予算も出なければコロナ禍で大人数が集まるわけにもいかない。何よりそんな企画力もないし、そもそも高校生がもう集まってくれない。これは高校生クイズ側の自業自得であることはここで十数年にわたって言い続けていることだ。裾野を「知の甲子園」とかいう企画で焼き払ったのだから、もう一般の高校生なんか出てくれるわけがない。だからもう細々とクイズ研究会相手にやり続けるしかないもんな。キツいな。

 

もう日テレにできることは「高校生クイズ」の名前を返上することだろう。ライオンという神スポンサーを失ったのだから、名前を掲げておく義理も必要もない。日テレらしくドライに視聴率悪化で打ち切りにすりゃあいいの。そうすれば自分のようなかつての思い出に縋るような人間もキレイに成仏できる。クイズ研究会の高校生には、代替になる大会などいくらでもある。なくなったところで困ることはなかろう。

 

もはやクイズのための知識をクイズ研究会がかっこよく答えたところで、そこに番組としてのカタルシスなんか生まれるわけがないだろ馬鹿野郎。クイズ研究会が普段答えないようなクイズに取り掛かって悪戦苦闘しながら答えを出したなら、そこにはドラマが生まれるかもしれない。日テレなら「超無敵クラス」のレギュラー出演者を10人くらい答えさせればいいの。そっちのほうが俄然盛り上がると思わないか?

 

最終的には自分が見なくなればいいだけの話なので、関係者が楽しくやれればいいんじゃないっすかね。来年以降も同じ路線を貫いて、さほど話題にもならなければいいと思います。最後に一つ言わせてもらえば、安村アナの「トトトトトラーイ」はあっさり廃止されたんですかね。番組見ながら「ああ、もう今年は言わないんだ」と思ってましたよ。1年でその決断ができるんなら、もっと番組自体をうまく舵取り出来そうなもんだけど、それとこれとは話が別なのか。そこらへんの諸問題を出題してはくれないか。しないよな。

 

小手がおかしい

テレ東で放送されていたホラードラマ「何かおかしい」をまとめて見ました。

 

ラジオの生放送を軸に起こる「何かおかしい」事件。ラジオとインターネットの同時性を上手く使って「現代ならでは」のホラーを描いている。

 

正直なところ、最初のほうはあまり面白いと思わなかったのですよ。それはドラマ内で起きた事件の中身を丁寧に解説してしまうことに対して「何が怖かったのか、の余白をこちらに託してくれないのかあ」と思っていたからだ。自分の中でのホラーの基準はやはりフェイクメンタリーでもある「放送禁止」であり、このシリーズは「何が起きていたのか」をやんわりと見せはするけど、全てネタばらしするようなことはない。そこに「自分で考える」楽しさがあり、怖さに深みが生まれると思っている。

 

だから自分からすれば「そこ説明しなくていいよ」にしかならないんだけど、同時にこれは「今っぽいのかな」とも思っていた。動画を倍速やシーン飛ばしで見るような世代からすれば、全てを自分で見て理解するのではなく、そこに「こういうことでしたよー」という解説があったほうが手っ取り早く親切だという話なのだろう。自分はそこに面白さや価値は感じないけども、そういうニーズがあるのであれば仕方ないのかな、くらいの理解。

 

だから最初のうちは「これが最後まで続くのかあ。面白くなりそうではあるけど、ちょっと蛇足でもったいないなあ」と思っていた。しかし全6話のうち、最後の2話になると話が変わってくる。そう、小手伸也の登場だ。

 

ラジオ番組を舞台にしていたこの話、日替わりの帯番組で月曜火曜の担当はヒャダイン(第1話・3話)、水曜木曜担当はオリラジ藤森(第2話・4話)ときて、金曜担当が小手なのだ。この並びだけでもちょっと笑える。昼から夕方の帯番組でヒャダイン、藤森ときて小手というのが既に「何かおかしい」もの。しかし最後まで見終えた今、ここに小手がいる意味はよく分かる。むしろ他の2人は小手が使いたいがための前振りでしかない。

 

メインパーソナリティ小手のアシスタントは野々村真の娘の香音。月曜火曜のアシスタントが岡田結実(念のためますだおかだ岡田の娘)ってのでこれも「何かおかしい」(というか遊んでいる)と思うのだけど、少々小手と険悪なのも面白い。もちろんこれもドラマの最後につながるフリではある。全部書いてしまうのはさすがに気が引けるので書かないけども、やんわり小手の不倫もイジられているのが最高だ。

 

このドラマの核心部分は、小手が大活躍する(と自分だけが思っている)5話6話だけ見ても分かる。これを書いている時点では4~6話は「Tver」でも見ることができるので、興味のある人はぜひ見てほしい(1~3話はYouTubeで見ることができる)。前半は解説に蛇足感が強いので、そういうのが見たくない人は5話6話だけのほうがいい。

 

「何かおかしい」ってのは大事な感覚で、それに気づいた時にどうにかしないと、あとで後悔しても遅いつうことをこのドラマは伝えてくれています。つまりはこういう話。

nageyarism.hatenablog.com

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いまだに倖田來未のCMはホラーだと思ってるけど、それはドラマとは直接関係がない。どうやらシーズン2も決まり早々に放送されるらしいので、気になる方は2が始まる前に。

 

そいつが俺のやり方

ついこの間所ジョージが10年も続けたYouTubeのチャンネルを突如閉鎖する、というのがニュースになっていました。理由は「広告がつくのが邪魔くさいから」だという。

 

別に所ジョージって人は「金儲けがいかん」と思っているわけではないのですよね。ただ、自分が完全なる趣味でやっている動画に広告がつくようなことになっちゃうと「それは違うかな」と思ってしまうというだけだろう。動画の広告の収益で生活しているわけではないからこその意見だ。賛否はあるだろうが、いかにも所さんな判断である。物事に執着がない。

 

自分もここで書いているブログは完全に趣味であり、これで金儲けしようと思っているわけではない。いやこれでお金稼げるなら最高なのだけど、もはやこれを仕事にしようだなんて全然思っていない。だからこそ「このブログに変な広告とか出るのイヤだなあ」という気持ちになるのはすごくわかる。そういうことじゃないのよ。

 

とか、自分がいかにも所さん気取りで趣味を堪能する男アピールをしてみたわけですが、本当のところは「はじめてみよう!収益化攻略ガイド」という文言がブログの上部に気づいたら存在していて、今回の所さんの件をはてなブログ側はどう思っているのかな、とか余計なことを思ってしまったので、あえてはてなブログで書いてみました。twitterで書いてもよかったんですけど、ここではてなブログについ書いてしまうのが自分の趣味のやり方ですな。褒められたもんじゃない。

 

 

オリジナル人生

世にも奇妙な物語」22夏の特別編を。今回はあまり寝かさずに見たと思います。

 

オトドケモノ

北山宏光主演。在宅勤務で宅配アプリを頻繁に利用する主人公。ある日いつも使っているアプリが使えずに、検索して利用したアプリが「なんでも2秒で届ける」ものだった。自分の所有物は無料(利用料金のみ)で、それ以外のものはその時の価値を踏まえた費用が加算される。人間の場合は生涯年収が上乗せされていた。ある日夫婦ともども同じタイミングで互いを呼び寄せることで、時空のはざまに閉じ込められる。どちらかが外に出て呼び寄せることができればいいが、誰かに呼び出してもらうには莫大な費用がかかる。離婚して他の人と夫婦になり、再度離婚してまた夫婦となって呼び寄せるという策を練るも、金持ちの老人を見つけた妻は離婚し、呼び寄せられることで時空から抜け出す。途方に暮れる主人公。ひとつだけ脱出する手段があると配達員に言われ、自らが配達員となる道を選択する。

 

「ジャンプ+」とのコラボ企画作品。世にもテイストをしっかり醸し出している。最後のオチの微妙な弱さまで含めて「ああ、世にもだな」と感じさせてくれる佳作。

 

何だかんだ銀座

有田哲平主演。とある少年が捕まえた野生の「ニホンオオカネモチ」。銀座にこだわりがあり、食べ物も銀座のものしか受け付けないし、飼うのに莫大なお金がかかる。そんな厄介な「ニホンオオカネモチ」ではあるが、次第に少年に慣れてゆく。しかし家庭の財政難を機に、野生に逃がすことに。別れ際少年の名前を呼ぶなど、感動的な別れ。時間は流れ、少年も就職が決まる。その会社の会長に呼ばれた少年。そこにいたのは自分が捕まえていた「ニホンオオカネモチ」だった。感動の再会かと思いきや、会長は虫取り網で少年を捕まえる。

 

非現実のお笑いファンタジー系かと思いきや、最後にファンタジー要素を大きくひっくり返す油断ならないつくり。「これは一体どういう設定なんだろう」と初めに軽く疑問に持たせておき、そこをなんとなくぼかしたまま話を進ませ、そして最後にその設定自体を使って強引にひっくり返す。これは絶妙だなあと思った。

 

メロディに乗せて

生田絵梨花主演。脳内に流れるメロディに合わせた行動をとらないと体調が悪くなるという「脳内メロディ症候群」になった主人公。同じ病気を持つ進藤と恋人になり、映画館に行くも、そこで刺されてしまう。劇中で「この音楽が鳴ったらすべてが終わり」という音楽があることを医者に言われていたが、それが「世にも」のテーマソングであることを知り、そのまま消えていく。

 

最後のオチがやりたいがための今回唯一のオリジナル。そもそもの発想も「世にも」らしいし、そして誰しもが納得のオチ。確かにこの音楽が鳴ったらすべて終わり。今回のNO1。

 

電話をしてるふり

山本美月主演。ナンパを断るテクとして父親と電話をしているふりをする主人公。実際に父親はすでに亡くなっている。しかし電話のふりをしていたのに、その電話と代わった人たちはみな父親と実際に話ができてしまう。そんな関係が長く続き、最終的に母親と、そして主人公とも話ができるようになり、結婚を祝福するメッセージが贈られる。

 

芸人BKB(バイク川崎バイク)の小説が原作。短い話でサクっと感動系。BKBが書いていると思うと「ほーん」と思うが、そうでなければそうでしかない話。

 

 

今回は「メロディに乗せて」の圧勝だった気がします。しかし他の作品も決して悪くなく、比較的アベレージの高い回だったのではないかと思います。タモリの最後の語りでは、「秋の特別編」のチケットが登場したりと、またすぐにお目にかかれるのではないかと思っています。自分の次回の更新が「秋の特別編」にならないように、少しは頑張ります。

 

無念

ダチョウ倶楽部上島竜兵が死去。どうも自殺のようだ。やるせないことです。

 

芸能人の自殺はちょいちょい連鎖する。先日も渡辺裕之の死が報道された。コロナ禍の先が見えなかった頃にも頻発していたし、なんだかまあ皆見えない不安を抱えて生きてるんだなあと思う。

 

かくいう自分も「ああ、なんか知らんけどもこの年まで生きてしまって、今すぐ死んでも誰も悲しみはしないな」という気持ちを20年持ち続けているにも関わらず、のうのうと生きているわけですから、人間そのくらいテキトーなほうがいいんじゃないかと思うわけです。ただまあこういう火種は誰しもが持ち合わせ、かつ消えずにくすぶっているわけですから、何かのきっかけで再度燃え上がることがあるのが怖いところでもある。

 

ダチョウの竜さんといえばリアクション芸のトップランナーであり、いわばイジられることを生業としていたようなところがあって、そういう人が思い詰めて死を選んだというところの衝撃は大きいと思う。ただ最近のバラエティでの振る舞いを考えると「あんなに後輩が慕ってくれているのに寂しさを感じているのかあ」というのが見え隠れしていた部分もあって、悪い方向に振れてしまったのかなあと考えさせられる。

 

自分が何より悔しいと思うのは、かつてフワちゃんが言っていた「上島竜兵のキスこれからも見たいよ」が果たされなかったことである。

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コロナ禍でのバラエティは接近はNGとなり、上島竜兵のお約束芸のひとつとして「ケンカしてキスで仲直り」は封印された。それを受けてフワちゃんが放ったひと言だった。自分もこの意見に大きく賛同し、当該記事はこんな一言で締めた。

バラエティ番組の「通常営業復帰宣言」には、是非とも上島竜兵のキスで幕を上げてほしいと思う。竜ちゃんのキスで素直に笑える日が来るまで、テレビは今しばらくの辛抱か。

 

当時ほどの制限はなくなったとはいえ、まだまだバラエティがコロナ禍以前に戻ったとは言い難い。先日の「午前0時の森」でも、劇団ひとり村上信五がビニールシート越しに抱き合っていて「なんだよこれ」と思ったわけだが(番組がいまいち盛り上がっていないというのは改めて書きたいとは思うけど別の話)、直接唇に振れるキス芸はまだまだご法度。完全には戻っていないのだ。だからこそ「通常営業復帰宣言」では高らかに上島と出川のキスで始まってほしかった。これが叶わないというのは残念でならない。

 

あともう一つ言っておきたいのは、芸能人の自殺は目立つから報道されるが、世の中には自殺って本当に多いのよ。身近な人が死んだ経験がある人ならわかると思うのだけど。「芸能界の闇」とか言ってる人はそういう経験がない人たちなんだろうな、と思う。それはそれで幸せなことではあるが、あまり感心したもんじゃないな、とも思う。

 

そして気分がどうしても落ちてしまったときは「失敗おっぱい世界一」と大声で叫んでほしい。

 

 

ウィークエンダー

フジで始まった「呼び出し先生タナカ」があまりに「めちゃイケ」の抜き打ちテスト企画すぎて、そこそこザワザワしますね。

 

アンガールズ田中がゴールデンで冠番組を持つ、なんてニュースが出てきたときには「ついに田中がこの地位に来たのか!」という感慨があった。たぶん本人もそうだろう。そして「呼び出し先生」というタイトルからも、「ゴッドタン」でやっていた「勝手に説教先生」みたいな、田中が呼び出した芸能人に勝手にダメ出しするような番組だと勝手に思っていた。そう、みんな勝手にだ。

 

そもそも田中がここ数年でまた芸能人としてのラングが上がったと感じさせたのは「的確な批評」だったのだ。前述ゴッドタンはもちろんのこと、YouTubeでAマッソに対して行った講義、そしてそこから「THE W」の審査員まで上り詰めた。だからこそ田中が冠番組で「呼び出し先生」ときたら、それはもう「田中の批評ショー」だろ、と。

 

しかし蓋を開けてみれば、出てきたのは「めちゃイケ」の焼き直しでしかなかった。これには正直、マジで驚いた。2022年、テレビが斜陽と叫ばれる今、こんな100人いたら100人が焼き直しと答えるような番組をどんな心境で作ることができるのか、と。しかも初回3時間。頭抱えたくなった。ただの視聴者なのに。

 

ただの視聴者にすぎない自分が頭抱えたくなるのに、制作側は何を思ってこの番組を世に送り出したのか。全員「これはめちゃイケだよな」と思いながらやっていたことは想像に難くない。しかも「めちゃイケ」の総監督だった片岡飛鳥がフジを早期退職する、という報道が出てからのこれ。早期退職とこの番組の因果関係など知ったことではないけども、もうこれが原因ってことにしても誰も一切疑わないレベルで酷い。最後に田中がバイクに乗って風に吹かれるのも「アメトーーク」の2番煎じなわけで、何かこの番組のオリジナル要素って一つもないのか。この番組の「個」が全く感じられないってある意味凄い。

 

番組の内容はフォーマットが確立されているので「そこそこ面白い」は担保されるのかもしれないけども、かといってこの番組が、そして出演者が評価されることはおそらくないだろう。面白いのはフォーマットが優秀だから。現製作者の手柄でも出演者の手柄でもない。誰が得するんだろうかこの番組。「めちゃイケ」を知らない若い世代が楽しければいいのかな。まあそれならそれでいいですよ。

 

フジテレビは本当に優秀な人がいなくなってしまったんだろうな、と思わせるのにこれ以上ない証拠。こんなに芸のない焼き直しは久々に見た。数年後田中が「あんなただのめちゃイケの焼き直し番組やりたかったわけないだろ!」と吠える未来が見える。ミレニアムズの悲劇が繰り返されるのか。フジの暗黒時代は先が見えない。

 

 

一方で同じ焼き直しでも、日テレのドラマ「金田一少年の事件簿」はよかった。

 

何度もドラマ化されてきた「金田一」ではあるが、令和のこの時代に復活させると聞いたときは、正直自分の中でも今更感があった。しかしドラマを見てみれば、まあよく出来ている。昔からのファンも、そしてなにわ男子目的の今のファンもそれなりに楽しめる内容になっている。

 

初回は「学園七不思議殺人事件」と、ドラマ版初代(堂本剛金田一と同じ。当時斬新だった堤幸彦の360度カメラワークとか、BGMとか、随所に初代のオマージュがありつつも、古臭くないようにブラッシュアップはされている。

 

それもそのはず、今回のドラマのプロデューサーに、初代金田一のプロデューサーでもあった櫨山裕子が名前を連ねている。初代を知っている人間が制作に加わることで、ちゃんとツボを押さえたつくりになっているということだろう。フジはなぜこれができないのか(もちろん片岡飛鳥は退社したからだけど)。そして初回監督の木村ひさしは堤幸彦の弟子。そりゃ似るわけよ。しかもクレジットはちゃんと「木村ひさし」のまま。最近ドラマのクレジットは必ずと言っていいほど気持ち悪いスマイルマークが入っていて嫌いだったんだけど、そこがない。日テレが止めたのなら、そこに敬服。本人がそうしたなら、他局でもちゃんとそうしろ。

 

日テレは戦略として「若い視聴者を新鮮に楽しませるのと同時に、ちゃんと昔からのファンを意識した作りにしよう」という明確なビジョンが見える。だからこそ昔を知る人物が加わり、過去の作品に敬意が加わる。一方フジはどうだ。「呼び出し先生タナカ」から感じるのは「何のひねりもポリシーもない焼き直し」だ。「めちゃイケ」を知らない世代は誤魔化せても、知っている世代は無理。全然無理。はっきり言おう、田中の無駄遣いである。

 

とまあ、「呼び出し先生タナカ」のどうしてこうなったを嘆きたいのがこの文章の意図の半分なのだが、もう半分はドラマ「金田一」で登場人物「桜樹るい子」はもうセーフなやつになったんだな、という時間の経過の偉大さを力説したかったのであります。*1

 

 

 

*1:蛇足で説明してしまいますが、原作にも使われている「桜樹るい子」は90年代前半に活躍したAV女優「桜樹ルイ」からの借用。ドラマ初代金田一(1995)当時はまだそれを知る人も多く、役名が「桜樹まり子」に変更されていたのです(変更されていたことは覚えていましたが、役名までは覚えていなかったのでさすがに調べました)。でも「全裸監督」でまた知られるようになった名前のような気もするのですが、言い始めればきりがないですな。

エーミール

吉野家の常務がマーケティングを「生娘をシャブ漬けにする」という喩えでもって、自身が講師を務めていた早稲田大学の講義で発言したのが問題になっている。そりゃあまあこのご時世問題になるでしょうなあ。

 

マーケティングというのがつまるところ「依存度を高めてリピーターになってもらうための手法」であるのならば、そこは間違っていないのだろう。しかしマーケティングの喩えとして間違っていなくても、それを大学の講義という「誰かに揚げ足とられやすい場所」で言ってしまうのは、間違ってはいなくても大凡ミスということになる。

 

吉野家はこれを重大なこととして、この常務を即解任し

 

「本日以降、当社と同氏との契約関係は一切ございません」

 

と表明した。会社としては一刻も早く「うちはそういう立場じゃありませんから!」と表明したかったのだろうけども、すべてをこの常務に擦り付けて問題の本質を棚上げしたような気がしてならない。今の時点で契約関係は一切ないのかもしれないけども、この元常務の発言が、常務だけの価値観によるものだったのか、はたまた会社全体がこういう価値観を共有して持ち合わせていたからこそのものだったのかでは話が大きく違う。なんというか、自分は後者のような気がしているからこそ、この吉野家の態度は卑怯だなあと思うわけです。

 

それは藤田ニコル吉野家のCMキャラクターになったという違和感に起因する。

 

他の人がどう受け取ったかのは知らないけども、自分は吉野家のCMで藤田ニコルがアルバイトとして働く、というCMを見たときに「なんだこれ」と思ったわけですよ。この時点では理由を突き詰めることはしなかったんだけども、「藤田ニコル吉野家でアルバイトしている、という設定が若者に親しみを持たれるとでも思ってんのか。なんかナメられてんな」と漠然とは感じていた。藤田ニコル金持ちだし吉野家なんて食わないだろ、とも思っていた。ただ、この時点ではこの違和感の正体がはっきりと言葉にできなかったわけです。

 

しかしこの報道で三浦瑠麗が

 

ニコルさんが本当にかわいそうだなと思うのは、若い女性だから。バカな存在として吉野家の常務に見られているというようなイメージがついてしまうと困るなと(引用:スポニチ

 

と発言したという記事を見て「ああこういことか」となんとなく合点がいったわけです。藤田ニコル起用の正体は「女性なんてのは同性の若い子でも出しておけば食いついてくるでしょ」的な「オッサンが考える若い女性受けする女性タレント」の最適解に過ぎなかったのです。三浦瑠麗の言葉を借りれば「バカな女性を釣るためのバカな存在」だろう。そして言い方は悪いが、今藤田ニコルであることが、オッサン加減を強調している。

 

もはや成功者の立ち位置である藤田ニコルよりも、もっと「バイト」として相応しそうな女性タレントがいる中での起用。それは「あえて」というよりも「オッサンがギリギリ知ってる若者受けの女性タレント」でしかなかったのではないか。この要素が先立てば当然のように「藤田ニコル吉野家でバイトという設定の謎さ加減」はスルーされるわけです。冷静に見ればそこに違和感しかないことであっても、である。

 

元常務の発言と、藤田ニコルを新人バイトとしてCMキャラクターに起用するという視線に共通するのは「どうしようもなくオッサンの発想」ということ。同世代の女性を出しておけば女性受けするんだろう、という発想そのものがオッサンなのだけど、オッサンだけではそれに気づかない。今時の会社ならば誰かが気づく。しかし気づかないままそれが実行されているのだから、吉野家という会社全体がオッサンなのである。オッサン化している会社が、いかにもオッサンな発想の「生娘をシャブ漬け」と発言する元常務を生み出していると考えるほうが自然だろう。

 

藤田ニコルをバイトとしてCMキャラクターに起用する」のは「生娘をシャブ漬けにするがごとく、若いうちから吉野家に味に慣れさせてリピーターになってもらうための呼び水だし、藤田ニコル使ってれば若い女性もなんとなく食べにくるだろ」という、根本のところで若い女性も藤田ニコルも軽くナメているという、なぜかしら両者に通底している感覚があるにも関わらず「元常務の発想は自分たちにはない」と言えるもんなのだろうか。バレてないとでも思っているのか。会社も常務と同じ感覚だったからこそ藤田ニコル起用してるんじゃないの?

 

実際のところはどうだか知ったことではないけども、自分の中では腑に落ちたのでスッキリしました。そうか、そうか、つまり君はそういうやつなんだな、という話です。