オリジナル人生

世にも奇妙な物語」22夏の特別編を。今回はあまり寝かさずに見たと思います。

 

オトドケモノ

北山宏光主演。在宅勤務で宅配アプリを頻繁に利用する主人公。ある日いつも使っているアプリが使えずに、検索して利用したアプリが「なんでも2秒で届ける」ものだった。自分の所有物は無料(利用料金のみ)で、それ以外のものはその時の価値を踏まえた費用が加算される。人間の場合は生涯年収が上乗せされていた。ある日夫婦ともども同じタイミングで互いを呼び寄せることで、時空のはざまに閉じ込められる。どちらかが外に出て呼び寄せることができればいいが、誰かに呼び出してもらうには莫大な費用がかかる。離婚して他の人と夫婦になり、再度離婚してまた夫婦となって呼び寄せるという策を練るも、金持ちの老人を見つけた妻は離婚し、呼び寄せられることで時空から抜け出す。途方に暮れる主人公。ひとつだけ脱出する手段があると配達員に言われ、自らが配達員となる道を選択する。

 

「ジャンプ+」とのコラボ企画作品。世にもテイストをしっかり醸し出している。最後のオチの微妙な弱さまで含めて「ああ、世にもだな」と感じさせてくれる佳作。

 

何だかんだ銀座

有田哲平主演。とある少年が捕まえた野生の「ニホンオオカネモチ」。銀座にこだわりがあり、食べ物も銀座のものしか受け付けないし、飼うのに莫大なお金がかかる。そんな厄介な「ニホンオオカネモチ」ではあるが、次第に少年に慣れてゆく。しかし家庭の財政難を機に、野生に逃がすことに。別れ際少年の名前を呼ぶなど、感動的な別れ。時間は流れ、少年も就職が決まる。その会社の会長に呼ばれた少年。そこにいたのは自分が捕まえていた「ニホンオオカネモチ」だった。感動の再会かと思いきや、会長は虫取り網で少年を捕まえる。

 

非現実のお笑いファンタジー系かと思いきや、最後にファンタジー要素を大きくひっくり返す油断ならないつくり。「これは一体どういう設定なんだろう」と初めに軽く疑問に持たせておき、そこをなんとなくぼかしたまま話を進ませ、そして最後にその設定自体を使って強引にひっくり返す。これは絶妙だなあと思った。

 

メロディに乗せて

生田絵梨花主演。脳内に流れるメロディに合わせた行動をとらないと体調が悪くなるという「脳内メロディ症候群」になった主人公。同じ病気を持つ進藤と恋人になり、映画館に行くも、そこで刺されてしまう。劇中で「この音楽が鳴ったらすべてが終わり」という音楽があることを医者に言われていたが、それが「世にも」のテーマソングであることを知り、そのまま消えていく。

 

最後のオチがやりたいがための今回唯一のオリジナル。そもそもの発想も「世にも」らしいし、そして誰しもが納得のオチ。確かにこの音楽が鳴ったらすべて終わり。今回のNO1。

 

電話をしてるふり

山本美月主演。ナンパを断るテクとして父親と電話をしているふりをする主人公。実際に父親はすでに亡くなっている。しかし電話のふりをしていたのに、その電話と代わった人たちはみな父親と実際に話ができてしまう。そんな関係が長く続き、最終的に母親と、そして主人公とも話ができるようになり、結婚を祝福するメッセージが贈られる。

 

芸人BKB(バイク川崎バイク)の小説が原作。短い話でサクっと感動系。BKBが書いていると思うと「ほーん」と思うが、そうでなければそうでしかない話。

 

 

今回は「メロディに乗せて」の圧勝だった気がします。しかし他の作品も決して悪くなく、比較的アベレージの高い回だったのではないかと思います。タモリの最後の語りでは、「秋の特別編」のチケットが登場したりと、またすぐにお目にかかれるのではないかと思っています。自分の次回の更新が「秋の特別編」にならないように、少しは頑張ります。

 

無念

ダチョウ倶楽部上島竜兵が死去。どうも自殺のようだ。やるせないことです。

 

芸能人の自殺はちょいちょい連鎖する。先日も渡辺裕之の死が報道された。コロナ禍の先が見えなかった頃にも頻発していたし、なんだかまあ皆見えない不安を抱えて生きてるんだなあと思う。

 

かくいう自分も「ああ、なんか知らんけどもこの年まで生きてしまって、今すぐ死んでも誰も悲しみはしないな」という気持ちを20年持ち続けているにも関わらず、のうのうと生きているわけですから、人間そのくらいテキトーなほうがいいんじゃないかと思うわけです。ただまあこういう火種は誰しもが持ち合わせ、かつ消えずにくすぶっているわけですから、何かのきっかけで再度燃え上がることがあるのが怖いところでもある。

 

ダチョウの竜さんといえばリアクション芸のトップランナーであり、いわばイジられることを生業としていたようなところがあって、そういう人が思い詰めて死を選んだというところの衝撃は大きいと思う。ただ最近のバラエティでの振る舞いを考えると「あんなに後輩が慕ってくれているのに寂しさを感じているのかあ」というのが見え隠れしていた部分もあって、悪い方向に振れてしまったのかなあと考えさせられる。

 

自分が何より悔しいと思うのは、かつてフワちゃんが言っていた「上島竜兵のキスこれからも見たいよ」が果たされなかったことである。

nageyarism.hatenablog.com

コロナ禍でのバラエティは接近はNGとなり、上島竜兵のお約束芸のひとつとして「ケンカしてキスで仲直り」は封印された。それを受けてフワちゃんが放ったひと言だった。自分もこの意見に大きく賛同し、当該記事はこんな一言で締めた。

バラエティ番組の「通常営業復帰宣言」には、是非とも上島竜兵のキスで幕を上げてほしいと思う。竜ちゃんのキスで素直に笑える日が来るまで、テレビは今しばらくの辛抱か。

 

当時ほどの制限はなくなったとはいえ、まだまだバラエティがコロナ禍以前に戻ったとは言い難い。先日の「午前0時の森」でも、劇団ひとり村上信五がビニールシート越しに抱き合っていて「なんだよこれ」と思ったわけだが(番組がいまいち盛り上がっていないというのは改めて書きたいとは思うけど別の話)、直接唇に振れるキス芸はまだまだご法度。完全には戻っていないのだ。だからこそ「通常営業復帰宣言」では高らかに上島と出川のキスで始まってほしかった。これが叶わないというのは残念でならない。

 

あともう一つ言っておきたいのは、芸能人の自殺は目立つから報道されるが、世の中には自殺って本当に多いのよ。身近な人が死んだ経験がある人ならわかると思うのだけど。「芸能界の闇」とか言ってる人はそういう経験がない人たちなんだろうな、と思う。それはそれで幸せなことではあるが、あまり感心したもんじゃないな、とも思う。

 

そして気分がどうしても落ちてしまったときは「失敗おっぱい世界一」と大声で叫んでほしい。

 

 

ウィークエンダー

フジで始まった「呼び出し先生タナカ」があまりに「めちゃイケ」の抜き打ちテスト企画すぎて、そこそこザワザワしますね。

 

アンガールズ田中がゴールデンで冠番組を持つ、なんてニュースが出てきたときには「ついに田中がこの地位に来たのか!」という感慨があった。たぶん本人もそうだろう。そして「呼び出し先生」というタイトルからも、「ゴッドタン」でやっていた「勝手に説教先生」みたいな、田中が呼び出した芸能人に勝手にダメ出しするような番組だと勝手に思っていた。そう、みんな勝手にだ。

 

そもそも田中がここ数年でまた芸能人としてのラングが上がったと感じさせたのは「的確な批評」だったのだ。前述ゴッドタンはもちろんのこと、YouTubeでAマッソに対して行った講義、そしてそこから「THE W」の審査員まで上り詰めた。だからこそ田中が冠番組で「呼び出し先生」ときたら、それはもう「田中の批評ショー」だろ、と。

 

しかし蓋を開けてみれば、出てきたのは「めちゃイケ」の焼き直しでしかなかった。これには正直、マジで驚いた。2022年、テレビが斜陽と叫ばれる今、こんな100人いたら100人が焼き直しと答えるような番組をどんな心境で作ることができるのか、と。しかも初回3時間。頭抱えたくなった。ただの視聴者なのに。

 

ただの視聴者にすぎない自分が頭抱えたくなるのに、制作側は何を思ってこの番組を世に送り出したのか。全員「これはめちゃイケだよな」と思いながらやっていたことは想像に難くない。しかも「めちゃイケ」の総監督だった片岡飛鳥がフジを早期退職する、という報道が出てからのこれ。早期退職とこの番組の因果関係など知ったことではないけども、もうこれが原因ってことにしても誰も一切疑わないレベルで酷い。最後に田中がバイクに乗って風に吹かれるのも「アメトーーク」の2番煎じなわけで、何かこの番組のオリジナル要素って一つもないのか。この番組の「個」が全く感じられないってある意味凄い。

 

番組の内容はフォーマットが確立されているので「そこそこ面白い」は担保されるのかもしれないけども、かといってこの番組が、そして出演者が評価されることはおそらくないだろう。面白いのはフォーマットが優秀だから。現製作者の手柄でも出演者の手柄でもない。誰が得するんだろうかこの番組。「めちゃイケ」を知らない若い世代が楽しければいいのかな。まあそれならそれでいいですよ。

 

フジテレビは本当に優秀な人がいなくなってしまったんだろうな、と思わせるのにこれ以上ない証拠。こんなに芸のない焼き直しは久々に見た。数年後田中が「あんなただのめちゃイケの焼き直し番組やりたかったわけないだろ!」と吠える未来が見える。ミレニアムズの悲劇が繰り返されるのか。フジの暗黒時代は先が見えない。

 

 

一方で同じ焼き直しでも、日テレのドラマ「金田一少年の事件簿」はよかった。

 

何度もドラマ化されてきた「金田一」ではあるが、令和のこの時代に復活させると聞いたときは、正直自分の中でも今更感があった。しかしドラマを見てみれば、まあよく出来ている。昔からのファンも、そしてなにわ男子目的の今のファンもそれなりに楽しめる内容になっている。

 

初回は「学園七不思議殺人事件」と、ドラマ版初代(堂本剛金田一と同じ。当時斬新だった堤幸彦の360度カメラワークとか、BGMとか、随所に初代のオマージュがありつつも、古臭くないようにブラッシュアップはされている。

 

それもそのはず、今回のドラマのプロデューサーに、初代金田一のプロデューサーでもあった櫨山裕子が名前を連ねている。初代を知っている人間が制作に加わることで、ちゃんとツボを押さえたつくりになっているということだろう。フジはなぜこれができないのか(もちろん片岡飛鳥は退社したからだけど)。そして初回監督の木村ひさしは堤幸彦の弟子。そりゃ似るわけよ。しかもクレジットはちゃんと「木村ひさし」のまま。最近ドラマのクレジットは必ずと言っていいほど気持ち悪いスマイルマークが入っていて嫌いだったんだけど、そこがない。日テレが止めたのなら、そこに敬服。本人がそうしたなら、他局でもちゃんとそうしろ。

 

日テレは戦略として「若い視聴者を新鮮に楽しませるのと同時に、ちゃんと昔からのファンを意識した作りにしよう」という明確なビジョンが見える。だからこそ昔を知る人物が加わり、過去の作品に敬意が加わる。一方フジはどうだ。「呼び出し先生タナカ」から感じるのは「何のひねりもポリシーもない焼き直し」だ。「めちゃイケ」を知らない世代は誤魔化せても、知っている世代は無理。全然無理。はっきり言おう、田中の無駄遣いである。

 

とまあ、「呼び出し先生タナカ」のどうしてこうなったを嘆きたいのがこの文章の意図の半分なのだが、もう半分はドラマ「金田一」で登場人物「桜樹るい子」はもうセーフなやつになったんだな、という時間の経過の偉大さを力説したかったのであります。*1

 

 

 

*1:蛇足で説明してしまいますが、原作にも使われている「桜樹るい子」は90年代前半に活躍したAV女優「桜樹ルイ」からの借用。ドラマ初代金田一(1995)当時はまだそれを知る人も多く、役名が「桜樹まり子」に変更されていたのです(変更されていたことは覚えていましたが、役名までは覚えていなかったのでさすがに調べました)。でも「全裸監督」でまた知られるようになった名前のような気もするのですが、言い始めればきりがないですな。

エーミール

吉野家の常務がマーケティングを「生娘をシャブ漬けにする」という喩えでもって、自身が講師を務めていた早稲田大学の講義で発言したのが問題になっている。そりゃあまあこのご時世問題になるでしょうなあ。

 

マーケティングというのがつまるところ「依存度を高めてリピーターになってもらうための手法」であるのならば、そこは間違っていないのだろう。しかしマーケティングの喩えとして間違っていなくても、それを大学の講義という「誰かに揚げ足とられやすい場所」で言ってしまうのは、間違ってはいなくても大凡ミスということになる。

 

吉野家はこれを重大なこととして、この常務を即解任し

 

「本日以降、当社と同氏との契約関係は一切ございません」

 

と表明した。会社としては一刻も早く「うちはそういう立場じゃありませんから!」と表明したかったのだろうけども、すべてをこの常務に擦り付けて問題の本質を棚上げしたような気がしてならない。今の時点で契約関係は一切ないのかもしれないけども、この元常務の発言が、常務だけの価値観によるものだったのか、はたまた会社全体がこういう価値観を共有して持ち合わせていたからこそのものだったのかでは話が大きく違う。なんというか、自分は後者のような気がしているからこそ、この吉野家の態度は卑怯だなあと思うわけです。

 

それは藤田ニコル吉野家のCMキャラクターになったという違和感に起因する。

 

他の人がどう受け取ったかのは知らないけども、自分は吉野家のCMで藤田ニコルがアルバイトとして働く、というCMを見たときに「なんだこれ」と思ったわけですよ。この時点では理由を突き詰めることはしなかったんだけども、「藤田ニコル吉野家でアルバイトしている、という設定が若者に親しみを持たれるとでも思ってんのか。なんかナメられてんな」と漠然とは感じていた。藤田ニコル金持ちだし吉野家なんて食わないだろ、とも思っていた。ただ、この時点ではこの違和感の正体がはっきりと言葉にできなかったわけです。

 

しかしこの報道で三浦瑠麗が

 

ニコルさんが本当にかわいそうだなと思うのは、若い女性だから。バカな存在として吉野家の常務に見られているというようなイメージがついてしまうと困るなと(引用:スポニチ

 

と発言したという記事を見て「ああこういことか」となんとなく合点がいったわけです。藤田ニコル起用の正体は「女性なんてのは同性の若い子でも出しておけば食いついてくるでしょ」的な「オッサンが考える若い女性受けする女性タレント」の最適解に過ぎなかったのです。三浦瑠麗の言葉を借りれば「バカな女性を釣るためのバカな存在」だろう。そして言い方は悪いが、今藤田ニコルであることが、オッサン加減を強調している。

 

もはや成功者の立ち位置である藤田ニコルよりも、もっと「バイト」として相応しそうな女性タレントがいる中での起用。それは「あえて」というよりも「オッサンがギリギリ知ってる若者受けの女性タレント」でしかなかったのではないか。この要素が先立てば当然のように「藤田ニコル吉野家でバイトという設定の謎さ加減」はスルーされるわけです。冷静に見ればそこに違和感しかないことであっても、である。

 

元常務の発言と、藤田ニコルを新人バイトとしてCMキャラクターに起用するという視線に共通するのは「どうしようもなくオッサンの発想」ということ。同世代の女性を出しておけば女性受けするんだろう、という発想そのものがオッサンなのだけど、オッサンだけではそれに気づかない。今時の会社ならば誰かが気づく。しかし気づかないままそれが実行されているのだから、吉野家という会社全体がオッサンなのである。オッサン化している会社が、いかにもオッサンな発想の「生娘をシャブ漬け」と発言する元常務を生み出していると考えるほうが自然だろう。

 

藤田ニコルをバイトとしてCMキャラクターに起用する」のは「生娘をシャブ漬けにするがごとく、若いうちから吉野家に味に慣れさせてリピーターになってもらうための呼び水だし、藤田ニコル使ってれば若い女性もなんとなく食べにくるだろ」という、根本のところで若い女性も藤田ニコルも軽くナメているという、なぜかしら両者に通底している感覚があるにも関わらず「元常務の発想は自分たちにはない」と言えるもんなのだろうか。バレてないとでも思っているのか。会社も常務と同じ感覚だったからこそ藤田ニコル起用してるんじゃないの?

 

実際のところはどうだか知ったことではないけども、自分の中では腑に落ちたのでスッキリしました。そうか、そうか、つまり君はそういうやつなんだな、という話です。

 

 

実効支配

日テレで放送された「ノンレムの窓」がとても「世にも奇妙な物語」でしたね。おそらく見た人が全員思っている感想でしょうけども。

 

本当は別のこと書くつもりだったのですが(「夜もヒッパレ」の話ですが、そのうち書きます)、ちょっとあまりに「世にも」しすぎていたので書かざるを得ないですね。

 

世にも奇妙な物語」はフジテレビで放送されている人気オムニバスドラマシリーズ。自分のブログのタグに「世にも」というものが実はあるのですが、物心ついたときから見ている自分のテレビ視聴の核になっている番組でもある。ちょっと不思議だったりホラーだったり、その手のオムニバスドラマはもはや「世にも」の専売特許でしかない。

 

この「世にも」が長年守り続けている「不思議オムニバスドラマ領域」は一度、日テレの「週刊ストーリーランド」において侵略された過去がある。しかしこちらはあくまで「バラエティ」の枠組みであり「アニメ」であったので、一応の棲み分けがされていたし、どちらかといえばプロ野球中継で潰れなかったときの番組でもあった(今では信じられない話だろうが、当時はまだプロ野球中継がゴールデンの番組を平気でつぶす時代でした)ので、さほど気にもされていなかった。いや自分は気にしていなかったというのが正しいか。

 

んでまあ今回の「ノンレムの窓」だ。ストーリーテラー的な立場にバカリズムがいる。タモリと大きく違うのは、バカリズム本人が脚本も手掛けているところだ。いうなれば「バカリズム不思議ワールド」的な感じだろうか。しかし誰が何と言おうとこれは「世にも」の枠組みだ。バカリズムも「世にも」と無縁ではない。自分のコントを原作にしたネタ「来世不動産」がかつて世にもでドラマ化されている。バカリズム本人も「これは世にもだよなあ」と思いながらやっているんだとは思う。

 

あまりに長いこと「世にも」がここらへんの領域を独占していたので、他がマネしようと思ってもなかなか難しかった。しかしバカリズムという「脚本自分で出来ちゃうし出演も出来る人」が自ら書いてやるならば、それはもう「バカリズムでしか出来ないもの」であり、「世にも」でありながら「世にも」じゃあない、という強弁がまかり通ってしまうところに日テレの狡さを感じる。

 

でも放送された3本「私達の恋」は「自分も」系であり、「解約ゲーム」は理不尽コメディ系であり、「カスタマイズ」もコメディ系ではあるが、オチにバカリズムイズムを感じる部分もある。ただやっぱり大枠でいけば「世にも」の掌の中にはいるよなあ、と感じる。これは仕方ない。

 

これ系のドラマは全て「世にも」じゃなければいけないという理由もない。だから日テレがバカリズムを擁してこういうことをやるのは別に問題はないんだけど、日テレの「なし崩しにここの領域を実効支配してやろう」くらいの野望が見え隠れしている気がして、「世にも」原理主義者の自分からすれば若干ザワザワはしますわな。

 

どのくらいのザワザワ感かといえば、別にもう見る手段なんていくらでもあるからいいといえばいいんですけど、地元テレ朝系列で「水曜どうでしょう」でもお馴染みHTBが「テレビ千鳥」の放送をやめたことと同じくらいですかね。もうここらへんの気持ちも誰にも理解されないような気もするんですが、オジサンなので言い続けるようにしたいと思います。*1

 

日テレは時に「なんだそれ」と思うことやるので油断できないですよね。つい最近堺雅人のドラマでそう思ったのは気のせいだったかと思ったのですが、連続でそういうことやってきたのでやっぱり気のせいじゃないなと思い直しました。日テレは堺雅人でスケベ心出しすぎなんだよなあ。

 

 

*1:追記:HTBでも遅れて放送が始まりました

反省なんかしない

なぜ義剛はどこまでも義剛で在り続けるのか。一連の花畑牧場ストライキ事件を簡単におさらいしてみよう。

 

花畑牧場が、自身の会社で雇っていたベトナム人40名が寮の光熱費値上げに抗議しストライキを決行したことに対し雇い止めを行い、それに反発したベトナム人側がさらに労組に駆け込み徹底抗戦する構えを見せた。

 

田中さんは電話取材に「今後は顧問弁護士が団体交渉を行う。示談するつもりはない」と話した。(共同通信

 

とあくまで戦う姿勢を見せていた。

 

これに関して自分は

 

と呟いた。自分は外国人労働者の問題に詳しいわけではなく、またそこに存在する難しい話に首を突っ込みたいわけでもない。これを読んでいる方や、そして義剛本人ももう忘れているかもしれないが、そもそも花畑牧場は「地域の雇用」とか「従業員は家族」とか散々言ってきた経緯がある。それなのに、いまや外国人労働者を使い捨てる様態でしか労働者がいないのか、そして地域から断絶されているのか、と切ない気持ちになった。

 

また、義剛が数年前からアジアにしょっちゅうちょっかいを出している、もとい進出しようとしていたことを知っていたので、そこの絡みもあって「どうせ技能実習とかいう名目で安い人件費で使ってやろうとか思ってたんだろ」と何の疑問もなく思ったわけです。

 

それら全部ひっくるめて、北海道の片田舎に大量のベトナム人といういびつさの味わいが深すぎる、と思ってのつぶやき。

 

断っておくが、こういう労働問題はどちらが100%悪いってことはないのだと思う。もちろんベトナム人労働者側の言い分があり、そして花畑牧場側の言い分もあるはずだ。ベトナム人が何の遠慮もなく光熱費をバカスカ使っていたのかもしれない。それにしても半年で倍はやりすぎだろうというのも分かる。両者の言い分をまとめたうえで、互いが現実的に歩み寄ることは全然出来たはずだ。

 

けど自分は義剛をウォッチしすぎているあまり、上記のような冷静な判断は一ミリもせずに「こんなもん義剛が悪いに決まってるよね」と秒速で思ったわけです。だって義剛は「そういうことやる人」だから。この事件の構図として「義剛がやりたい放題やってやがる」以外の選択肢はないのだ。偏見よくない。そして残念なことに、この直感が100%正しいことは後に証明される。

 

 

次の展開として、花畑牧場側は義剛の発言を断片的に切り取り発信したとして3名を名誉棄損だと告訴した。簡単に言えば「悪いのはベトナム人!イメージ下げられて迷惑してんのはこっち!」というわけだ。商品と同時にイメージを売っているブランドが打つ手としては最悪に近いなあ、とは思いつつも、こういう下品な戦略を何の恥ずかしげもなく打てるのが義剛。こういうところのブレなさは本当に凄い。凄いけど尊敬は絶対にしない。どうすればここまで立派に下品になれるのか。

 

自分はこの時点でこう思っていた。

 

ひとつの訴訟に対して別方向からの訴訟をぶつけたりすることで、全部ひっくるめて和解に持ち込むというのは法廷での常套手段。今思えば「ベトナム人側を訴えたのは単なる腹立ち紛れ」だったような気がしないでもないが、こうやって泥沼戦法に持ち込むことで、ブランドイメージを損なってでも金は支払わないという、確固たる意志が見て取れる。素人に見て取らされるなよそんなもん。

 

 

簡単に言えば、「当事者同時の契約云々の前に、国にウソついてるよね義剛?やってるよね?」である。相手が立場の弱いベトナム人労働者にはえらく強気だった義剛。しかし、知ってか知らずか国を敵に回すことになった義剛。この件に関し、何ら後ろ暗いところがなければ「入管に提出した書類に不備はあったけれど、それはそれ、これはこれ。こっちはストライキに関しては断固戦うつもりだし、名誉棄損もはっきりと争う」とすればよかったはずだ。

 

しかし義剛が、花畑牧場側が下した結論はこうである。

 

 

 

 

こうやって速攻で白旗上げたことによって、「ちゃんと自分たちの非を認めて謝ったことは評価できる」とか訳知り顔で言うバカが出てくることを自分は危惧している。はっきり言っておくが、義剛が謝罪したのは「ベトナム人」にでは絶対にない。言うまでもなく、これ以上問題を長引かせることによって、もっとヤバいことになりそうだから早めに「国」に謝っておきます、である。ベトナム人たちに本当に悪いと思っていたらこの速攻での変わり身はないし、そもそも最初から相応の対処が出来たのだ。これ以上粘ると、ベトナム人に支払うよりももっと大きな損をしそうだから、ここらへんで損切りだ、くらいの感覚だろう。経営者判断としては正しい。ただ自分に与える印象としては、一点の曇りもない「嫌い」の二文字だ。

 

 

ここ数年やっぱりまた大幅に調子に乗っていた義剛であるが、これでようやくまた反省モードに突入するのであろう。自分はどちらかといえば「謙虚に反省してます」という態度の中に横溢する傲慢さにこそ義剛を感じるタイプなので、分かりやすく傲慢な義剛はつまらなかったのだ。これでいいのである。そしてあくまで「反省モード」であり、反省することはない。これまで起きた事にひとつでも反省をしていたら、こんな地平に到達していない。孤高の存在である。悪い意味で。

 

外国人労働者に対する不適切な対応を真摯に反省し、再発防止に努める」(週刊文春の記事より)

 

とあるが、ウーソーだーねー(ゲスニックマガジン西条)。せいぜい「もうベトナム人労働者は使わないから、再発のしようがない」が関の山だろう。本当に誰が働くようになるんだ花畑牧場

 

私事ではありますが、もう最近ずーっと今の仕事辞めたいと思ってるんです。けど「いっそのこと花畑牧場で働こうかな」とは絶対に思わせない強さ。仕事は辞めてもウォッチは辞めない。そう思わせてくれた2022春。

 

あけましておめでとうございます

もう2月でまたオリンピックやってるんだってね。

 

気付いたら2022の2月になっていました。あんまり1月の記憶がありません。年末年始も仕事してましたし、1月も仕事してました。こんなに仕事していると自分が仕事大好き人間だと錯覚してしまいますが、全く仕事したくないです。仕事したくないしたくない言いながら仕事たくさんしてるんだから饅頭怖いと同じ現象ですね。本当に仕事はしたくないんですけども。わたしゃテレビが見たいのですよ。いや、見てるんですよテレビも。ずっと仕事してテレビ見て仕事してテレビ見てます。全部見てるわけじゃあありませんけども、自分の見始めた1月期のドラマがつまんなくて、ドラマ制作者が全員オミクロンで休養しているとしか思えないとか勝手に思ってます。大河朝ドラは面白いのにね。

 

もう「テレビがオワコン」とかいうのは現代人の共通認識なのかもしれませんが、そのくせアンジャッシュの渡部がテレビの地上波復帰とか言い出すとすげえ文句言うのな。舞台ならいいのか?ネットならいいのか?テレビがオワコンなら「オワコンで復帰するあたり渡部らしい」とか言ってあげるべきじゃないのかね。日テレのプロデューサーがabemaで文句垂れてましたけど、どこのテレビ局が最初に復帰させようとしたんでしたっけ?とか言ってはいけないんでしょうね。

 

ただまあテレビの勢いのなさと、自分の尿圧の勢いのなさがどっこいであることは認めなければいけない哀しい事実であります。もちろん自分の尿圧の勢いがバリバリだという可能性は否定しませんが、自分ももう40手前ですし(もうこんなもの足かけ20年やってると思うと自分でも虫酸が走ります)そこは推して知るべしなのです。テレビで話題になるのはいまや「あの番組も終了」という後ろ向きなものばかり。ワクワクする新番組の話はねえのか、と思ってしまいます。

 

北海道ではなぜかドラマ「ウォーターボーイズ」の再放送が始まったんですよね。山田孝之が主演のやつ。全裸監督になるまえに半裸で主演やってる。森山未來瑛太田中圭星野源も出てる。これだけ今もバリバリ活躍している男性陣に対してヒロインが宮地真緒ってのが今では笑えてしまうのですが(当時からすれば朝ドラヒロイン経験者なので、全然おかしくないのだけど)、なかなかどうして面白い。それは放送当時自分が夢中になって見ていたドラマである、ということもあるのかもしれないけど、やっぱり単純に作品として面白いってだけなんだと思う。今のドラマより全然凝ってないし、話も単純。けどその単純さにパワーがあった。役者の力も大きいのだろうけど。

 

今見ているドラマを20年後見たいと思うかどうか、それはどうなんだろう。20年後還暦だぞ自分。そんなこと言ってる場合じゃない気がする。20年後もこんなこと書いているのか。吐きそう。仕事やめたい。誰か仕事ください。